高梨裕稔, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3009852 / CC BY SA 3.0
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高梨 裕稔(たかなし ひろとし、1991年6月5日 – )は、千葉県茂原市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
野球を始めたのは小学2年生の時。
内野手だった中学生時代には、公式戦で安打を1本しか放てなかった影響で、下級生にレギュラーの座を奪われかけた時期があった。
千葉県立土気高等学校への進学直後には、友人からの誘いでサッカーへの挑戦を考えたものの、結局野球部へ入部。
1年時の夏までは三塁手だったが、監督の勧めで、1年時の秋から投手へ転向した。
投手転向の直後は122km/hだったストレートの最高球速が、3年時には142km/hを計測。
在学中は全国大会へ出場できなかったが、3年夏に自身の投球を見た高橋一三からの誘いで、当時高橋が硬式野球部の監督を務めていた山梨学院大学へ進学した。
大学時代にはヤクルトスワローズの投手だった伊藤彰コーチや高橋の指導によって、関甲新学生野球のリーグ戦で活躍。
3年時の春季リーグ戦には、読売ジャイアンツ (ファーム)との練習試合への登板中に右肘の違和感を訴えたことから、大事を取って登板しなかった。
3年時の秋季リーグで実戦に復帰すると、延長15回にまで及んだ平成国際大学との初戦に、先発で168球を投げて完投勝利を達成。
この勝利を皮切りに、5勝1敗という成績で、ベストナイン・最多勝利・最優秀防御率のタイトルを手にした。
リーグ戦では、通算26勝を記録するとともに、ベストナインと最多勝利を2度ずつ獲得。
練習試合で主力打者を完璧に抑えたことを機に、NPB球団のスカウトから注目されるようになった。
大学時代の1年後輩に、田中貴也が居る。
2013年のドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから4巡目で指名。
契約金4,000万円、年俸780万円(金額は推定)という条件で入団した。
担当スカウトは川名慎一で、背番号は39。
2014年は、イースタン・リーグ公式戦17試合に登板し、1勝8敗1セーブ、防御率4.90で一軍公式戦への登板機会がなく、推定年俸760万円(20万円減)で契約更改する。
2015年は、5月3日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で先発投手として一軍にデビューした。
しかし、3回1/3を投げて4失点を喫した末に敗戦投手になった。
2016年は、救援要員として初めての開幕一軍入りを果たすと、5月までの一軍公式戦23試合の救援登板で2勝2敗1ホールドを記録した。
6月8日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)からは、先発に再び転向。
この試合で一軍での先発初勝利を挙げる。
先発への転向後は、8月13日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天Koboスタジアム宮城)で一軍初の完投勝利を完封で挙げるなど、14試合の登板ながら8勝無敗という好成績でレギュラーシーズンを終え、10勝2敗1ホールド、防御率2.38を記録。
ポストシーズンでは、福岡ソフトバンクホークスとのクライマックスシリーズ第4戦(10月15日)および広島との日本シリーズ第4戦(10月26日、いずれも札幌ドーム)で先発を任された。
新人王の受賞資格を有するパ・リーグの投手ではただ1人レギュラーシーズンで2桁勝利(10勝)を挙げたことなどが高く評価されたため、日本シリーズの終了後にはパ・リーグの新人王に選ばれた。
NPBの新人王を入団1年目以外の有資格者が受賞した事例は、2010年の榊原諒以来5年振り12人目。
入団3年目以上の有資格者が受賞した事例は、2002年の正田樹(いずれも受賞時点では日本ハムに所属)以来14年振り5人目であった。
ただし、高校以外のアマチュア球界からNPBの球団へ新たに入った選手が有資格者として入団3年目で受賞した事例は史上初めてである。
2017年は、先発登板した4月11日の対ソフトバンク戦で敗戦投手になり、前年途中から続いていたレギュラーシーズンにおける自身の連勝が10で止まったものの、5月2日の対ロッテ戦で自身2度目の一軍公式戦完封勝利を挙げた。
セ・パ交流戦明けから調子を落とし、オールスター前に二軍落ちとなる。
8月23日のオリックス戦で、1ヶ月半ぶりに一軍復帰し、4勝目を挙げ、そこから4…
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