寺岡寛治, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3754351 / CC BY SA 3.0

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寺岡 寛治(てらおか かんじ、1992年12月3日 – )は、福岡県糟屋郡粕屋町出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
粕屋町立粕屋西小学校では内橋ジュニアスラッガーズでソフトボールをプレーし、粕屋町立粕屋東中学校から福岡粕屋ボーイズで野球を始める。
東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)の2年春には投手として149km/hをマークするまでに成長したが、右肘を疲労骨折したことで外野手に転向。
3年夏の福岡県大会では左翼手として出場し、準々決勝でサヨナラの適時二塁打を放つなど、チームのベスト4進出に貢献した。
九州共立大学では右肘を手術し、3年時までリハビリに専念。
4年春から外野手として公式戦に出場すると、同季は打率.371をマークしてベストナインを受賞した。
九州三菱自動車には外野手として入社したが、寺岡の強肩と投手経験を知った投手コーチの山内孝徳の指示で投球練習を再開。
すぐさまオープン戦で150km/hを計測したため、以降は主に外野手とリリーフの二刀流でプレーを続けた。
NPB入りを目指す上で、山内からの「上を目指すならピッチャーが近道」という進言と、寺岡自身の「育成枠であってもまずは入ること」という考えから、投手への専念と独立リーグへの挑戦を決意。
「正社員なんだから今更プロ野球選手を目指さなくても」という家族の反対を押し切って、九州三菱自動車を2年で退社し、特別合格枠で石川ミリオンスターズに入団した。
石川では1年目からチームの開幕投手に抜てきされ、その後はセットアッパーに定着。
43試合に登板して防御率1.52の好成績を残し、NPBの9球団からスカウトが視察に訪れるまでに評価を高めた。
2017年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、契約金2000万円、年俸600万円で契約に合意。
背番号は56に決まった。
2018年の春季キャンプでは、新人ながら一軍スタートとなったが、一軍での登板はなく、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。
その後育成選手として再契約した。
背番号は056。
2019年は二軍で33試合に登板して2勝1敗、防御率0.64と好調をキープし、7月28日に支配下選手として登録されたことが球団から発表された。
新しい背番号は68。
8月4日の千葉ロッテマリーンズ戦の7回にプロ初登板を果たし、8回までの2イニングは無失点に抑えたが、9回に代打の清田育宏に3ランを浴びた。
一軍での登板はこの1試合にとどまった。
二軍では51試合に登板した。
2020年は中継ぎとして自己最多となる24試合に登板し、2勝1敗10ホールド、防御率3.15という成績を残した。
9月13日の北海道日本ハムファイターズ戦ではプロ初勝利を挙げた。
最速155km/hのストレートに加え、カットボールやフォークなどの変化球を武器とする。
追い込んでからは必ず三振を狙いに行くスタイルで、石川時代は59回1/3を投げて82個の三振を奪うなど、奪三振率が高い。
自ら「毛の生えた心臓」と表現するように度胸の良さと、常に全力投球で闘志を前面に出した投球を持ち味としており、石川時代の総合コーチだった武田勝からは「打者に向かって行く気持ち」を高く評価されている。

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