平井克典, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3539888 / CC BY SA 3.0

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#Honda鈴鹿硬式野球部及びその前身チームの選手
#埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手
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平井 克典(ひらい かつのり、1991年12月20日 – )は、愛知県一宮市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
埼玉西武ライオンズ所属。
NPBのパシフィック・リーグにおける、シーズン最多登板数記録保持者。
小学校時代は一宮市立浅野小学校に通っていた。
一宮市立南部中学校に進学し、愛知江南ボーイズに第18期生として所属した。
飛龍高等学校では、1年夏からベンチ入りした。
2年夏には、チームのベスト4入りに貢献した。
しかし、3年夏は登板機会がなく、チームも3回戦で敗退した。
在学中は控え投手だった。
高校を卒業した後は、愛知産業大学に入学した。
3年春には当時2部リーグだったチームのリーグ優勝に貢献し、さらに1部6位だった愛知工業大学を倒して1部昇格を果たし、1部リーグでは2シーズンで計2勝を挙げた。
しかし大学時代には企業チームからのオファーがなく、Honda鈴鹿硬式野球部に自ら売り込みをかけて採用を勝ち取った。
大学を卒業した後は本田技研工業に入社し、鈴鹿野球部でプレーした。
社会人1年目はオーバースローだったが、結果を残せず秋にサイドスローに転向。
社会人3年目でブレイクし、JABA長野大会ではMVPを獲得。
都市対抗野球でも2勝を挙げ、チームのベスト8入りに貢献した。
また、日本選手権ではエースとして投げ、1回戦の新日鉄住金広畑戦では9回途中無失点の好投で勝利投手になったが、2回戦の酒居知史擁する大阪ガスとの試合に負け、チームは敗退した。
2016年ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから5位指名を受けて契約した。
背番号は25。
2017年は、5月後半に一軍登録されると5月25日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でデビュー。
主に先発が早期降板した時、または接戦時のショートリリーフを任された。
一軍登録されてからは1回も二軍に落ちることなく42試合に登板、プロ初勝利も記録した。
オフの10月12日に第1回アジア プロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出された。
2018年はリリーフとして64試合に登板し、3勝1敗21ホールドを挙げ、10年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
2019年は、クローザーの増田達至に繋ぐセットアッパーの役割を担い、チームのリーグ連覇を支えた。
前年以上のハイペースで登板し9月20日、ついにパ・リーグ記録タイとなる78登板を達成。
これにて「神様、仏様、稲尾様」と崇められた稲尾和久の記録と並んだ。
9月24日、千葉ロッテマリーンズ戦で単独2位となるシーズン81試合登板を記録。
この試合でチームは21年ぶりとなる連覇を達成した。
その他にも、36ホールド、41ホールドポイント(36ホールド+5救援勝利、いずれもチームトップでリーグ2位)という好成績を収めている。
2020年は、6月の開幕を一軍で迎えるも7月中旬から失点が目立つようになり、セットアッパーの座を平良海馬に譲る。
その後はホールドの付かない場面での登板が続いたが、「ブルペンデー」とされた8月20日の対オリックス・バファローズ戦で自身初の先発となった。
5回2安打無失点でマウンドを降り、先発として勝利投手となった。
この好投をきっかけに先発・中継ぎと起用法が流動的となり、先発登板4試合・救援登板37試合、5勝5敗7ホールド、防御率4.18という成績でシーズンを終えた。
2021年からは本格的に先発に転向して開幕ローテーション入りし、3月28日のオリックス戦では6回無失点。
4月4日のソフトバンク戦では5回2/3を2失点、同11日のロッテ戦では7回1失点で開幕から3戦3勝と好スタートを切った。
しかし、その後は6試合勝ちが無く、その期間は2敗・防御率6.98と不振であり、5月31日に登録を抹消された。
二軍調整を経て6月30日のソフトバンク戦で一軍復帰するも4回7失点で敗戦投手。
その後は日程の都合もありリリーフで3試合に登板し前半戦を終えると、エキシビションマッチでも中継ぎ起用が続き、西口文也投手コーチから配置転換が明言された。
スリークオーターに近いサイドスローで投げる。
「スライダーだけは磨き続けてきた」と、握りを試行錯誤しながら切れ味を増していったスライダーを軸に、安定感のある投球をみ…

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