秋山拓巳, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1917785 / CC BY SA 3.0

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#愛媛県立西条高等学校出身の野球選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#キャンベラ・キャバルリーの選手
#香川県出身の人物
#1991年生
#存命人物
秋山 拓巳(あきやま たくみ、1991年4月26日 – )は、香川県出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
阪神タイガース所属。
父親としたキャッチボールがきっかけで3歳から野球を始める。
小学校入学と同時に「今津スポーツ少年団」に所属。
小学3年生の5月に父親の仕事の都合で愛媛県西条市に転居、「西条リトルリーグ」に所属し全国大会への出場も果たす。
その後、西条南中時代には「西条リトルシニア」に所属、3年時にシニア日本代表として世界大会に出場した。
西条高校に進学すると、1年生秋から4番を打ち、2年生春からエースとなる。
2年生秋の秋季四国大会では自身の投打にわたる活躍で優勝し、翌春の第81回選抜大会に出場。
この時は初戦で敗退したが、夏の愛媛県大会を制して出場した第91回選手権大会では初戦突破を果たした。
高校通算48本塁打を記録したほどの強打者で、「伊予ゴジラ」とも呼ばれており、近日中に西条と対戦する予定がある高校では練習において「秋山対策」をしていた程だった。
2009年のプロ野球ドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名。
契約金4000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は27。
2010年、8月21日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で先発投手として一軍デビュー。
阪神の高卒新人投手による先発での一軍初登板は2000年の岡本浩二以来で、巨人戦では球団史上初めてであったが、6回4失点という内容で敗戦投手になった。
しかし、次に先発で登板した8月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、5回を1失点で凌いで一軍公式戦初勝利を挙げた。
阪神の高卒新人投手が一軍公式戦で勝利投手になった事例は、1986年の遠山昭治以来24年ぶりだった。
9月12日の対ヤクルト戦(阪神甲子園球場)では、村中恭兵から7回裏に左前適時打を記録するなど投打に活躍し、阪神の高卒新人投手としては遠山以来の無四球完封勝利を挙げた。
セントラル・リーグの高卒新人投手による完封勝利は1989年の川崎憲次郎以来21年ぶりで、無四球完封勝利は1988年の野村弘樹以来22年ぶり7人目の快挙だった。
一軍公式戦には、全7試合に先発登板し、4勝3敗、防御率3.35という成績でシーズンを終えた。
一軍公式戦で2勝以上を記録した阪神の高卒新人投手は遠山以来3人目で、右腕投手としては初めてであった。
2011年、育成を優先する首脳陣の方針に加えて、首を故障した影響で、シーズンの大半を二軍で過ごした。
9月に一軍へ昇格すると、9月28日と10月4日の対ヤクルト戦に先発で登板したが、通算で0勝1敗に終わった。
シーズン終了後の11月には、チームメイトの甲斐雄平・荒木郁也と共に、オーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーへ派遣。
先発投手としてリーグ戦4試合に登板すると、通算22イニングで13被安打、10与四球、16奪三振、3自責点、WHIP1.05を記録するとともに、1勝0敗、防御率1.23という成績を残した。
防御率については、派遣期間を終えて帰国するまでリーグのトップに立っていた。
2012年、一軍公式戦2試合の登板で、1勝1敗を記録。
しかし、通算防御率が9.00に達するほど投球内容が不安定で、いずれの試合後もすぐに出場選手登録を抹消された。
2013年、ウエスタン・リーグの公式戦では、チームメイトの白仁田寛和とリーグ防御率のトップを争うほど好調を保った。
最終的に防御率(2.53)・勝利数(8勝)・勝率(.667)の3部門でリーグ2位になった。
一軍でも、シーズン初登板・初先発になった4月29日の対広島東洋カープ戦(甲子園)で6回途中まで1失点と好投したことを皮切りに、チーム事情に応じて先発登板の機会を得た。
しかし、勝負どころで踏ん張り切れずに交代を命じられたあげく、勝利投手にならないまま翌日に出場選手登録を抹消されるという事態が続いた。
通算では8試合に登板したものの、0勝3敗、防御率3.83という成績にとどまった。
2014年、ウエスタン・リーグの公式戦では、20試合の登板で9勝7敗を記録した他、6月20日の対広島戦(広島東洋カープ由宇練習場)において、福井優也から2点本塁打を打った。
最多勝利のタイトルを飯田優…

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