池田隆英, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3561031 / CC BY SA 3.0

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池田 隆英(いけだ たかひで、1994年10月1日 – )は、佐賀県唐津市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
北海道日本ハムファイターズ所属。
唐津市立成和小学校4年生の頃に、成和ライオンズで野球をスタート。
当初は捕手だったが、後に投手へ転向した。
中学生時代には、ボーイズリーグに加盟する地元の硬式チーム「東松ワンダーズ」(現在は佐賀東松ボーイズ)に所属すると、4季連続で同リーグの全国大会に出場。
2年時には準優勝を経験した。
中学校からの卒業後に進学した創価高等学校では、同級生の田中正義がいた。
田中は故障で中堅手へ転向していた。
田中と共に創価大学へ進学してからも、田中が2年時からエースとして注目を集める一方で、自身は3年時まで故障からのリハビリを優先した。
しかし、4年時に東京新大学野球の春季リーグ戦で初勝利を挙げると、秋季リーグ戦で最多勝利(4勝)と最優秀防御率(0.83)のタイトルを獲得。
ベストナインにも選ばれた。
日本学生野球協会からも表彰され、2016年のNPBドラフト会議の直前には、田中と並んで上位指名の候補に挙げられていた。
東北楽天ゴールデンイーグルスから2巡目で指名を受け、契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)で入団した。
担当スカウトは沖原佳典で、背番号は30。
同年のドラフトでは、田中も1巡目で5球団から指名された後に、抽選で独占交渉権を得た福岡ソフトバンクホークスへ入団している。
2017年には、一軍公式戦での先発デビューを予定していた5月に左足首、8月に右足首を捻挫。
その影響で一軍昇格のチャンスを逃したが、イースタン・リーグ公式戦では、11試合の登板で4勝1敗、防御率2.72を記録した。
2018年には、春季キャンプ中の対外試合から好投を続けた末に、先発要員として公式戦を一軍でスタート。
4月1日には、千葉ロッテマリーンズとの開幕カード第3戦(ZOZOマリンスタジアム)で一軍公式戦へのデビューを果たした。
この試合では敗戦投手になったものの、2週間後(4月15日)の対埼玉西武ライオンズ戦(楽天生命パーク宮城)でも先発を任されると、6回1/3を投げて11安打で5点を失いながらも一軍公式戦初勝利を挙げた。
その後も先発登板が続いたが、通算で1勝5敗と黒星が先行したため、5月下旬以降は救援要員に転向。
一軍公式戦全体では、15試合の登板(7試合の先発)で、1勝5敗4ホールド、防御率5.91という成績を残した。
なお、シーズン終了後には、台湾でのアジアウィンターリーグにNPBイースタン選抜の一員として出場。
台湾選抜との優勝決定戦で先発に起用されると、8回を2被安打10奪三振無失点の好投でチームを優勝へ導くとともに、リーグのMVPに選ばれた。
2019年は一軍登板なしに終わり、戦力外通告を受けた。
11月19日、育成選手として再契約を発表。
2020年は開幕直後にトレードで池田駿が入団したため、報道上の表記およびスコアボード上の表記が「池田隆」に変更された。
シーズン終了後、支配下選手に復帰した。
背番号は以前と同じ「30」である。
2021年2月27日に横尾俊建との交換トレードで北海道日本ハムファイターズへ移籍することが球団から発表され、3月3日付で日本野球機構 (NPB) より公示された。
移籍後は先発要員を期待された起用でオープン戦3試合10イニングを無失点と好投。
開幕ローテーション入りを掴むと、開幕3試合目の3月28日、古巣である楽天戦で自身3シーズンぶりとなる一軍公式戦登板を先発投手として果たした。
4月13日の西武戦では6回1失点に抑えて移籍後初勝利、自身1094日ぶりの白星となった。
その後は時折10日間の登録抹消を挟みながら先発ローテーションを回っていたが、援護に恵まれないことが多く黒星が先行した。
8月15日の対ソフトバンク戦ではドリュー・バーヘイゲンが調整の一環でショートスターターとして先発し池田は2番手として登板し3回無失点。
これが3年ぶりの救援登板となりホールドも記録された。
最高球速156km/hを計測したストレートにスライダー、カットボール、シュート、カーブ、フォークと多彩な変化球を織り交ぜる。
幼少期には、素潜りでサザエなどを採っていた。

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