黒木優太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3526983 / CC BY SA 3.0

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黒木 優太(くろき ゆうた、1994年8月16日 – )は、神奈川県横浜市港北区出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
オリックス・バファローズ所属。
横浜市立北綱島小学校2年時から、軟式野球チームのブラックシャークに所属。
横浜市立日吉台中学校への入学と同時に港北リトルシニアへ所属したことを機に、硬式野球に転向した。
中学2年生からは、同校の軟式野球部で投手や外野手を経験している。
橘学苑高等学校への進学後は、1年生の秋から2年生の夏まで遊撃手だったが、強肩を買われて秋から投手に転向。
短期間で最速146km/hのストレートを投げられるまでに成長したが、春夏共に甲子園球場での全国大会に出場できなかった。
3年生の秋に日本学生野球協会へプロ志望届を提出したものの、その年のNPBドラフト会議でどの球団からも指名されなかったことから、高校卒業後は立正大学へ進学した。
立正大学では、1年生の秋から、主戦投手として東都大学野球の2部リーグ戦で登板。
2年時の春季リーグ戦では、先発・抑えの両方でリーグ最多の4勝を挙げるとともに、チームを14シーズンぶりの2部優勝に導いた。
3年時には、東都大学野球選抜チームの一員として、6月の韓国選抜戦で先発。
4年時の春季リーグ戦では、先発登板で4連勝を達成した。
しかし、5月の試合中に、一塁へのベースカバーで走者と接触した影響で右肩を脱臼。
秋季リーグで実戦復帰を果たしたものの、在学中の1部昇格までには至らなかった。
なお、在学中には2部リーグ戦46試合に登板。
通算投球回数248回1/3で、16勝(6完投1完封)12敗、248.1回、防御率1.74を記録した。
また、ウェートトレーニングで体格の向上に努めた結果、4年生の春季リーグ戦ではストレートで153km/hを計測。
高校3年生の夏に続いて、NPBの複数球団のスカウトから注目されるようになった。
大学4年時に改めてプロ志望届を提出し、10月20日のNPBドラフト会議でオリックス・バファローズから2巡目で指名。
契約金8,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号は54で、同姓の黒木知宏が千葉ロッテマリーンズの投手時代に着用した番号を、自身の意向で選んだ。
なお、この時に開かれた育成ドラフト会議では、大学時代のチームメイトである神戸文也もオリックスから3巡目で指名され、育成選手として契約した。
2017年には、春季キャンプのスタートから一軍に帯同し、オープン戦では、5試合の救援登板(通算5イニング)でいずれも無失点を記録した。
オープン戦期間中の3月中旬には教育リーグで先発登板も経験したが、「今の力なら勝利の方程式に入れられる」という一軍監督・福良淳一からの評価を背景に、新人選手では澤田圭佑とともに開幕一軍入りを果たした。
3月31日には、東北楽天ゴールデンイーグルスとの開幕戦(京セラドーム大阪)で、延長10回表に救援投手として一軍公式戦にデビュー。
1イニングを無失点に抑えるとともに、プロ初ホールドを記録した。
4月中旬からセットアッパーとして主に8回を任されていた。
5月16日の対福岡ソフトバンクホークス戦(京セラドーム大阪)では、同点の8回表から登板し、ソフトバンク打線を三者凡退に抑えて交代。
その裏にチームが勝ち越して連敗を6で止めたことから、一軍公式戦での初勝利を挙げた。
5月18日の同カード(ほっともっとフィールド神戸)でプロ入り後初めて3失点を喫するまで、13登板試合連続無失点を記録。
同期入団の山岡泰輔が先発した6月4日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、8回裏まで無失点に抑えた山岡の後を受けて9回裏に登板すると、一軍公式戦での初セーブを記録した。
6月には4勝を挙げたが、オリックスの新人投手が一軍の公式戦で1か月間に4勝を記録した事例は、前身・阪急ブレーブス時代の1971年に児玉好弘が達成して以来46年ぶりである。
オールスターゲームでは、パシフィック・リーグの新人投手から山岡と共に同リーグの監督推薦選手へ選ばれると、7月15日の第2戦(ZOZOマリンスタジアム)で5番手投手として初登板を果たした。
後半戦では、クローザーの平野佳寿が不調で二軍調整に入…

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