濵口遥大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3542682 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#ユニバーシアード野球日本代表選手
#日本のユニバーシアード金メダリスト
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#佐賀県立三養基高等学校出身の人物
#神奈川大学硬式野球部の選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#佐賀県出身の人物
#1995年生
濵口 遥大(はまぐち はるひろ、1995年3月16日 – )は、佐賀県三養基郡基山町出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
DeNA入団後の愛称は、苗字と本拠地名(横浜スタジアム)にちなんだ「ハマのハマちゃん」。
なお、苗字の「濵」は環境依存文字であるため、「濱口」や「浜口」と表記されることもある。
若基小学校1年生の時に軟式野球を始めると、5年生の時に投手へ転向。
基山中学校では軟式野球部に所属していたが、この時は体が小さかったことから、投手は通用せず断念、ポジションはライトで打順も6、7番だった。
このようなことから、高校進学後は野球をやめるつもりでいたという。
しかし、佐賀県立三養基高等学校への進学後は中学時代の先輩に勧められて投手として硬式野球部へ入部。
1年秋の大会から控え投手で公式戦に出場すると、3年春の県大会では、エースとしてチームの準々決勝進出に貢献した。
3年夏の選手権佐賀大会では、1回戦からの2試合で完封するとともに通算27イニングで31奪三振6失点をマークしている。
しかし3回戦で敗れ、在学中は春夏ともに甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
高校卒業後に神奈川大学へ進学すると、1年春からリーグ戦に登板。
2年春の関東学院大学戦では先発で9回を2失点に抑えると、延長10回のタイブレーク中にストレートで自己最速の150km/hを計測した。
在学中は、リーグ戦で通算51試合に登板。
通算で359回1/3を投げて20勝(15完投7完封)16敗、防御率2.10を記録した。
2年春・3年春のリーグ優勝を経て臨んだ全日本大学野球選手権では、2年時にチームの準優勝、3年時に準々決勝進出に貢献している。
さらに、野球日本代表の一員として、2年夏にハーレムベースボールウィーク、3年夏にユニバーシアードの野球競技、4年夏に日米大学野球へ出場した。
2016年のNPBドラフト会議で、神奈川大学の地元球団でもある横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名された。
柳裕也(明治大学)・佐々木千隼(桜美林大学)の重複指名による抽選で交渉権を逃した末の指名であったが、契約金9,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は26。
入団会見では阪神タイガースのファンであったことを明かした。
2017年には、オープン戦から先発で好投を続けた結果、セントラル・リーグの球団にドラフト1巡目で入団した新人選手でただ1人開幕一軍入りを果たした。
4月2日には、東京ヤクルトスワローズとの開幕カード第3戦(神宮球場)に、先発投手として公式戦にデビュー。
次に先発した4月9日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、左ふくらはぎの痙攣によって6回裏一死で降板したものの、1失点に抑えて公式戦初勝利を挙げた。
一軍公式戦の開幕2カード目までに初勝利を挙げたDeNAの新人左腕投手は、前身球団を含めても59年ぶり3人目であった。
その後の公式戦では、主に髙城俊人とのバッテリーで、一軍の先発ローテーションの一角に定着。
セ・パ交流戦では、先発した3試合全てで勝ち星を挙げ、規定投球回へ到達した日本人投手では全12球団トップ(外国人投手を含めれば2位)の防御率0.93を記録した。
オールスターゲームにも監督推薦でセ・リーグの新人選手からただ1人選ばれていた。
しかし、オールスター前最後のリーグ戦であった7月12日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)に先発したところ、左肩に違和感を覚え、プロ入り後最短の3回で降板。
翌7月13日には、出場選手登録を抹消されるとともに、同ゲームの出場を辞退した。
8月13日の対阪神戦に先発投手として一軍に復帰すると、9月3日の対読売ジャイアンツ戦(横浜)でシーズン9勝目を挙げ、DeNAの大卒新人投手による一軍公式戦のシーズン勝利数記録を更新。
さらに、レギュラーシーズンの最終戦となった10月4日の対中日ドラゴンズ戦(横浜)では、7回1失点という内容で10勝目を挙げた。
球団の新人投手が一軍公式戦で2桁勝利を挙げた事例は、川村丈夫(1997年)の10勝以来20年ぶり。
左投手としては、大洋…
WACOCA: People, Life, Style.