笠井崇正, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3614079 / CC BY SA 3.0

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#横浜DeNAベイスターズ及び横浜ベイスターズの育成選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
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笠井 崇正(かさい たかまさ、1994年8月7日 – )は、北海道旭川市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
横浜DeNAベイスターズ所属。
旭川市立共栄小学校3年時から軟式野球を始めると、東陽中学校時代には軟式野球部に所属していた。
旭川西高校への進学後に硬式野球部へ入ると、2年時の春からベンチ入り。
夏の選手権大会では、旭川支部の予選を勝ち抜いた末に、チーム44年振りの北北海道大会出場を果たした。
3年時の春には、チーム史上初めて全道大会へ出場すると、野球部創部後の対外試合では初めての完封勝利(9回5安打11奪三振)を1回戦で達成した。
後に2回戦まで進出したが、在学中には春夏共に、阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
旭川西高校から一般入試で早稲田大学スポーツ科学部に進学すると、硬式野球部へ入部したが、わずか2日で退部。
退部後も学内の硬式野球サークル「Y.R.B.C.(Yazawa Regulation Baseball Club)」に所属しながら、アルバイトながら小学生向けの野球教室でコーチを務めるなど、趣味の範囲で野球を続けた。
また、大学の研究の一環として投球フォームを研究した結果、大学3年時の2015年に登板した旭川西高校のOB戦で141km/hをマーク。
客員教授で1・2年時に講義を担当した谷沢健一の勧めで2015年11月に独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)のトライアウトを受験したところ、ストレートで最速146km/hを計測した。
翌12月のBCリーグドラフト会議で、信濃グランセローズから2巡目で指名。
早稲田大学に在籍したまま入団した。
背番号は「20」。
大学4年時の2016年、リーグ戦の前期から登板。
前・後期を通じて、中継ぎや抑えで35試合に登板すると、3勝1敗1セーブ、防御率2.43という成績を残した。
後期リーグ戦では、9月11日の対福井ミラクルエレファンツ戦(中野市営野球場)へ登板中に、自己最速の151km/hを計測した。
2016年のNPB育成ドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名。
支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)という条件で、育成選手として入団した。
入団当初の背番号は「105」。
2017年3月に、早稲田大学を卒業した。
2017年、春季キャンプのスタートを二軍で迎えながらも、キャンプ期間中に一軍の紅白戦や練習試合へ登板。
通算3試合で、5イニングを投げて、9奪三振無失点という好結果を残した。
この結果に対して、一軍監督のアレックス・ラミレスは「ビッグインパクトを残してくれた」との表現で笠井を高く評価した。
「リリーフとして戦力になるためには、連投をこなせるだけの体力が必要」というゼネラルマネジャーの高田繁の判断で、シーズン中の支配下選手登録は見送られたが、イースタン・リーグ公式戦には25試合の登板で3勝3敗2セーブ、防御率3.72をマーク。
シーズン終了後にNPBイースタン選抜の一員として派遣された台湾のアジアウインターベースボールリーグでは、救援で登板した10試合をすべて無失点で凌いだ。
2018年、春季キャンプ前の1月12日に、育成契約から支配下選手契約へ移行することが発表された。
移行後の背番号は「94」。
春季キャンプのスタートを一軍で迎えたが、シーズン中は二軍で過ごし、24試合のリリーフ登板で、防御率3.91を記録。
シーズン終盤の9月末に一軍に昇格すると、10月1日にプロ初登板を果たした。
2019年、オープン戦で好調を維持し、自身初の開幕一軍入りを果たす。
シーズンでは主にロングリリーフなどで16試合に登板した。
二軍でも22試合を投げて、防御率1.86と好成績を収めた。
オフには、阪口皓亮、大貫晋一、平田真吾とともにオーストラリアン・ベースボールリーグのキャンベラ・キャバルリーへ派遣。
2020年、二軍でリリーフとして27試合に登板したが、防御率は4.05と前年より悪く、一軍ではシーズン終盤に1試合登板するのみに留まった。
2021年は開幕一軍入りを果たす。
しかし、3月27日の巨人との開幕2戦目で、DeNAから移籍した梶谷隆幸から移籍後…

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