田村伊知郎, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3576322 / CC BY SA 3.0
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田村 伊知郎(たむら いちろう、1994年9月19日 – )は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
埼玉西武ライオンズ所属。
小学校2年生から野球を始める。
中学時代は山田中学校(軟式)で活躍、3年生の秋にはKボールのクラブチーム「メジャー兵庫」で全国大会に出場し、準優勝を経験する。 報徳学園高等学校に進学し、1年夏に4強、2年春に甲子園に出場(初戦敗退)、「スーパー1年生」と騒がれた。高校2年時、秋の近畿大会で後にチームメイトになる駒月仁人から本塁打を打たれた。高校3年の最後の試合は右肩痛で登板することができなかった。 立教大学に進学したが、故障に悩まされ、初勝利を挙げたのは3年春だった。副主将になった4年の7月に第28回ハーレムベースボールウィークの代表に選出され、抑えを担当した。大学通算成績は8勝10敗、防御率3.19。同期に田中和基と澤田圭佑がいた。 2016年ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから6位指名を受け、契約金3000万円・年俸700万円(金額は推定)で契約した。
背番号は「40」。
2017年は5月7日に一軍に初昇格し、同9日の北海道日本ハムファイターズ戦の9回裏にプロ初登板を果たし1回無失点だった。
6月7日に登録抹消となったが、8月にも2週間ほど一軍を経験した。
ルーキーイヤーでは一軍に12試合に登板して防御率6.91、二軍では19試合に登板して2勝2敗・防御率2.58の成績を残した。
11月25日から台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、NPBウエスタン選抜に選出されたが辞退となった。
2018年も開幕を二軍で迎える。
6月3日にシーズン初昇格を果たすも短期間で登録抹消と再登録を2度繰り返し、8月8日に3度目の登録抹消となって以降は一軍に昇格できなかった。
この年は4試合の登板で防御率3.60という成績だった。
2019年は初めて開幕一軍入りを果たすも6試合の登板で防御率6.14と結果を残せず、4月14日に登録抹消されてからは一度も一軍に上がれずにシーズンを終えた。
オフにアメリカ(シアトル)のトレーニング施設「ドライブライン・ベースボール」へ派遣された。
2020年は2年連続で開幕一軍入り。
ホールドの付かない場面が主戦場のためブルペンでは肩を作る回数も多く、マウンドに上がればイニングを跨ぐことも少なくなかったが、タフな登板を乗り切ってシーズンのほとんどを一軍で過ごした。
自己最多の31試合に登板、41イニングを投げて防御率3.95という成績を残した。
2021年も開幕一軍入りを果たしたが結果を残せず5月2日に登録抹消。
6月30日に再登録されるも防御率6.10と奮わず前半戦は8試合の登板に留まった。
五輪による中断期間で前半戦は先発を務めていた平井克典とマット・ダーモディのリリーフ転向があり後半戦の開幕は二軍で迎えたものの、結果を残せなかったダーモディと入れ替わる形で8月28日に一軍へ昇格すると9月24日の千葉ロッテマリーンズ戦、プロ5年目通算66試合目にして待望のプロ初勝利を挙げた。
大学時代は最速150km/hのストレートとスライダーの2球種が投球のほとんどを占めていた。
プロ入り後はチェンジアップ、フォーク、ナックルカーブ、カットボール、ツーシーム、シュートと様々な球種に挑戦。
一時期はシュートを中心に右打者のインコースを攻めるスタイルを目指していたが好不調の波が激しく、また2019年オフのアメリカ派遣の成果もあり2020年シーズン終盤からは150km/hを連発するなどストレート主体の投球スタイルに変化している。
プロ入り後のストレートの最速は151km/h。
高校の先輩にあたる大谷智久を目標としている。
中学時代から非常に成績優秀で、兵庫高校を目指せる学力があったという。
報徳学園高校には選抜クラスの生徒を含め、学年2番で入学した。
中高の体育の教員免許を取得。
ドラフト会議直後に教育実習に行く。
単位は3年次までに取り終えるなど、文武両道の選手であった。
2018年のシーズン中に大学時代から付き合っていた女性と結婚している。
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