ペドロ・バエズ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2930082 / CC BY SA 3.0

#ドミニカ共和国の野球選手
#在アメリカ合衆国ドミニカ共和国人の野球選手
#ロサンゼルス・ドジャース傘下の選手
#ロサンゼルス・ドジャースの選手
#ヒューストン・アストロズの選手
#オールスター・フューチャーズゲーム選出選手
#1988年生
#存命人物
ペドロ・アルベリーズ・バエズ・デラクルーズ(Pedro Alberys Báez De La Cruz,1988年3月11日 – )は、ドミニカ共和国ペラビア州バニ出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
MLBのヒューストン・アストロズ所属。
愛称はスペイン語でラバを意味するラ・ムーラ(La Mula)。
2007年1月22日にロサンゼルス・ドジャースと三塁手として契約。
契約後、傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ドジャースでプロデビュー。
53試合に出場して打率.274、3本塁打、39打点、3盗塁を記録した。
2008年はまずA級グレートレイクス・ルーンズでプレーし、59試合に出場して打率.178、1本塁打、16打点、3盗塁を記録した。
6月にパイオニアリーグのルーキー級オグデン・ラプターズへ降格した。
61試合に出場して打率.267、12本塁打、50打点、2盗塁を記録した。
2009年はA+級インランド・エンパイア・シックスティシクサーズでプレーし、79試合に出場して打率.286、10本塁打、61打点、5盗塁を記録した。
同年のオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
2010年はまずA+級インランド・エンパイアでプレーし、75試合に出場して打率.259、6本塁打、42打点、4盗塁を記録した。
8月にAA級チャタヌーガ・ルックアウツへ昇格し、7試合に出場した。
2年連続でオールスター・フューチャーズゲームに選出された。
夏期にはルーキー級アリゾナリーグ・ドジャースでプレーした。
2011年AA級チャタヌーガでプレーし、32試合に出場して打率.385、2本塁打、15打点、1盗塁を記録した。
2012年はAA級チャタヌーガでプレーし、78試合に出場して打率.216、4本塁打、36打点、5盗塁を記録した。
7月にA+級ランチョクカモンガ・クエークスへ降格した。
50試合に出場して打率.228、7本塁打、23打点、2盗塁を記録した。
同年のサザンリーグのオールスターゲームに選出された。
オフに三塁手から投手へ転向した。
2013年はA+級ランチョクカモンガで開幕を迎えた。
32試合に登板して2勝2敗2セーブ、防御率3.63、32奪三振を記録した。
7月にAA級チャタヌーガへ昇格した。
16試合に登板して1勝1敗、防御率4.24、23奪三振を記録した。
オフにはアリゾナ・フォールリーグのグレンデール・デザートドッグスでプレーした。
オフの11月20日に40人枠入りを果たした。
2014年3月5日にAA級チャタヌーガへ異動し、そのまま開幕を迎えた。
AA級チャタヌーガでは11試合に登板し、1勝0敗5セーブ、防御率2.84と好投。
5月5日にメジャーへ初昇格し、同日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビュー。
2点ビハインドの8回裏から登板し、1回を投げ2安打2失点と結果を残せず、5月7日にAA級チャタヌーガへ降格した。
この年メジャーでは20試合に登板して防御率2.63、18奪三振を記録した。
2015年はリリーフ陣の一角として52試合に登板し、4勝2敗、防御率3.35、WHIP1.14、奪三振率10.6という好成績を残した。
ただ、課題としては走者を背負った場面でのピッチングが浮上し、4被本塁打は全てランナーありで被弾した。
2016年は出番が増えてチームでの存在感が高まり、それに伴って成績も向上。
11被本塁打と、被弾率は相変わらず高かったものの、73試合で3勝2敗、防御率3.04、WHIP1.00、奪三振率10.1という見事な成績だった。
2017年は66試合に登板して3勝2敗、防御率2.95、64奪三振を記録した。
2018年は55試合に登板して4勝3敗、防御率2.88、62奪三振を記録した。
2019年は71試合に登板して7勝2敗1セーブ、防御率3.10、69奪三振を記録した。
2020年は18試合に登板して2セーブ、防御率3.18、13奪三振を記録した。
オフの10月28日にFAとなった。
2021年1月13日にヒューストン・アストロズと2年総額1000万ドルの契約を結んだ。
オプションとして2023年は球団側が選択権を所持し、バイアウトの際は200万ドルが支払わ…

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