ホセ・ラミレス, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2758539 / CC BY SA 3.0

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ホセ・アルタグラシア・ラミレス(José Altagracia Ramírez, 1990年1月21日 – )は、ドミニカ共和国サン・クリストバル州ヤグアテ出身のプロ野球選手(投手)。
現在はFA。
愛称はラミ。
2008年にニューヨーク・ヤンキースと契約してプロ入り。
契約後、傘下のルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・ヤンキースでプロデビュー。
12試合(先発10試合)に登板して0勝3敗、防御率4.15、39奪三振を記録した。
2009年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ヤンキース、A+級タンパ・ヤンキースでプレー。
ルーキー級ガルフ・コーストリーグでは11試合(先発10試合)に登板し、6勝0敗、防御率1.48、53奪三振を記録した。
2010年はA級チャールストン・リバードッグスでプレーし、22試合(先発21試合)に登板して6勝5敗、防御率3.60、105奪三振を記録した。
2011年はA+級タンパで開幕を迎え、6試合に登板したが、0勝5敗、防御率8.14と結果を残せず、5月にA級チャールストンへ降格。
A級チャールストンでは15試合に先発登板して5勝7敗、防御率4.90、74奪三振を記録した。
2012年はA+級タンパでプレーし、21試合(先発18試合)に登板して7勝6敗、防御率3.19、94奪三振を記録した。
オフの11月20日にヤンキースとメジャー契約を結び、40人枠入りした。
2013年はAA級トレントン・サンダーで開幕を迎えた。
9試合(先発8試合)に登板して1勝3敗、防御率2.76、50奪三振を記録した。
6月14日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースへ昇格。
AAA級スクラントン・ウィルクスバリでは8試合に先発登板して1勝3敗、防御率4.88、28奪三振を記録した。
2014年はAAA級スクラントン・ウィルクスバリで開幕を迎え、5月18日にメジャーへ昇格したが、登板の機会が無いまま同日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した。
6月4日にメジャーへ再昇格し、同日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。
同点の7回表から登板したが、2番目の打者のジョシュ・ドナルドソンに本塁打を打たれ、これが決勝点となり、メジャー初黒星を喫した。
8試合目の登板となった6月30日のタンパベイ・レイズ戦では、同点の延長12回表から登板したが、ローガン・フォーサイスから勝ち越しとなる安打を打たれ2敗目を喫し、翌日の7月1日にAAA級スクラントン・ウィルクスバリへ降格した。
この年メジャーでは8試合に登板して0勝2敗、防御率5.40、10奪三振を記録した。
2015年、ヤンキースでは3試合に投げたが、防御率15.00と大炎上した。
2015年7月30日にダスティン・アクリーとのトレードで、ラモン・フローレスと共にシアトル・マリナーズへ移籍した。
マリナーズ移籍後は5試合に投げ、メジャー初勝利を挙げたものの、防御率は移籍前に続いて10.00超えとなる11.57だった。
2015年の通算では、8試合の登板で1勝0敗であり、防御率は12.91という成績だった。
2015年12月4日に後日発表選手と金銭のトレードで、アトランタ・ブレーブスへ移籍した。
2016年は開幕から2試合に登板したが、投球回2、失点・自責点6、防御率27.00と振るわず、4月11日にDFAとなった。
その後は40人枠を外れる形で傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属され、6月30日のルイビル・バッツ戦では継投でのノーヒットノーランを達成した試合を3番手として締め括った。
7月28日にメジャー契約を結んで再びアクティブ・ロースター入りした。
9月14日のマイアミ・マーリンズ戦でホセ・フェルナンデスに対して危険球を投げ乱闘に発展し、退場処分を受けた。
MLBはラミレスに3試合の出場停止と罰金の処分を科した。
なおラミレスはこの処分に対し異議を申し立てたが認められず、9月22日から出場停止となった。
この年は33試合に登板して2勝2敗、防御率3.58、WHIP1.35という、まずまずの成績を記録。
また、高い三振奪取能力を誇り奪三振率9.1をマー…

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