望月惇志, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3327171 / CC BY SA 3.0

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#1997年生
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望月 惇志(もちづき あつし、1997年8月2日 – )は、神奈川県横浜市港南区出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
5歳で野球を始めると、横浜市立芹が谷小学校時代は「東芹が谷ジュニアフェニックス」に、横浜市立芹が谷中学校時代は「横浜南ボーイズ」にそれぞれ所属。
横浜創学館高校に進学すると、2年春からベンチ入り。
3年時にはストレートで最速148km/hを計測したが、在学中には春夏とも甲子園大会へは出場できなかった。
2015年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名。
契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は61。
2016年、春季キャンプから二軍で育成。
6月9日にオリックス・バファローズとのウエスタン・リーグ公式戦(阪神鳴尾浜球場)で先発投手として実戦デビューを果たすと、5回無失点の好投でプロ初勝利を挙げるとともに、ストレートで151km/h(当時の自己最速記録)を計測。
同リーグ公式戦14試合の登板で、5勝3敗(1完投)、防御率3.84という成績を残した。
9月30日にプロ入り後初の出場選手登録を果たすと、翌10月1日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(阪神甲子園球場)で、6点リードの9回表に4番手投手として一軍公式戦にデビュー。
最初の対戦打者ギャレット・ジョーンズに投げ込んだストレートで、自己最速記録を153km/hにまで更新。
結局、1回を無失点に抑え、福原忍の引退試合でもあったチームのレギュラーシーズン最終戦を継投による完封勝利で締めくくった。
シーズン終了後の秋季キャンプでは蓄積疲労によって右肘を負傷。
ノースローによる調整を余儀なくされた。
2017年、教育リーグ中にストレートで155km/hを計測したものの、レギュラーシーズン開幕後の4月に腰痛を発症。
長期にわたる療養を強いられ、8月に実戦へ復帰すると、ウエスタン・リーグ公式戦で14試合に登板。
5勝(1完投勝利)3敗、防御率3.84という成績を残した。
一軍公式戦への登板機会はなかった。
シーズン終了後に参加したフェニックスリーグでは155km/hを計測。
フェニックスリーグ終了後に秋季キャンプへ参加したが、再び腰痛を訴えたため、12月19日に腰部ヘルニアの手術を受けた。
2018年、前年に受けたヘルニア手術の影響で、春季キャンプから6月末までは、二軍での調整に専念していた。
7月3日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)8回表から2年振りの一軍公式戦登板を果たすと、5者連続奪三振を記録。
同リーグ選抜の一員として初出場した7月13日のフレッシュオールスターゲーム(はるか夢球場)では、9回表の救援登板で155km/hを2度計測し、イースタン・リーグ選抜の高卒新人クリーンアップ(清宮幸太郎・村上宗隆・安田尚憲)を三者凡退に抑えた。
後半戦は一軍の救援陣に定着。
一軍公式戦全体では、37試合に登板して防御率4.20を記録したが、初勝利や初セーブを挙げるまでには至らなかった。
シーズン終了後の秋季キャンプでは、才木浩人・浜地真澄とともにMVPへ選ばれた。
2019年、プロ入り後初めて一軍の沖縄春季キャンプに参加すると、主に先発で実戦登板を重ねた、オープン戦ではストレートで自己最速の159km/hを計測したものの、制球難を露呈したため、開幕一軍入りには至らなかった。
4月4日の対巨人戦(東京ドーム)に救援投手として一軍公式戦でのシーズン初登板をしたが、3回を投げて2被本塁打3失点という内容で、翌5日に出場選手登録を抹消された。
抹消後には、7月中旬の時点でウエスタン・リーグトップの防御率2.43を記録するなど先発で好投。
7月17日の対中日戦(豊橋市民球場)で一軍公式戦の先発マウンドを初めて経験すると、先発と救援で併用されながら、8月22日の対DeNA戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦での初勝利を先発で記録した。
レギュラーシーズンでは一軍公式戦8試合の登板で1勝を挙げただけだったが、チームがシーズン3位で迎えたクライマックスシリーズ(CS)では、10月9日に巨人とのファイナルステージ第1戦(東京ドーム)で先発に抜擢された。
CSでの登板自体初めてで、1回裏に2者連続で本塁打を浴びるなど、2回5失点という内容で降板した末に黒星を喫したが、一軍監督の矢野燿大は「望月に(大一番での)経験…

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