石橋良太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3324804 / CC BY SA 3.0
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石橋 良太(いしばし りょうた、1991年6月6日 – )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する大阪府堺市出身のプロ野球選手(投手)。
右投左打。
堺市立榎小学校では小学1年から長曽根ストロングスで投手として野球を始め、5、6年時に全国優勝。
三国丘中学校では浜寺ボーイズに所属して遊撃手兼投手として2、3年時には全国大会に出場した。
当初は地元のPL学園に憧れを抱いていたが、第84回全国高等学校野球選手権大会を制した明徳義塾高校の姿を見て進学を決めた。
2学年後輩には明徳義塾高校、楽天でも一緒にプレーすることになる北川倫太郎がいる。
明徳義塾高校進学後、1年の秋から二塁手のレギュラーとして活躍。
第80回選抜高等学校野球大会に出場し、2回戦の中京大中京高校戦ではサヨナラタイムリーを放った。
3回戦では優勝した沖縄尚学高校に1-3と敗れた。
2年の秋からエースとして、チームを引っ張り、3年の春は四国大会優勝を果たした。
夏の高知大会は3季連続決勝で高知高校と当たり、公文克彦-木下拓哉のバッテリーと投げ合ったが2-3で敗れた。
2学年先輩には伊藤光がいる。
拓殖大学進学後、1年春から投手兼内野手でリーグ戦に出場していたが、打率は1割に低迷し、投手としては1年秋に東都二部リーグで防御率トップの1.57をマークしたことで投手に専念する。
2年秋と3年秋は防御率リーグトップを記録し、2年の秋は二部リーグ48季ぶりの優勝に貢献した。
4年春は右肘を痛め、リーグ戦登板はなかった。
4年の秋は一部リーグで4勝を記録した。
Honda入社後、1年目から主力として活躍。
2014年の第67回JABA九州大会では優勝を果たし、MVPに選ばれた。
第85回都市対抗野球大会ではリリーフ、第40回社会人野球日本選手権大会では先発で活躍した。
2年目は第86回都市対抗野球大会では三菱重工名古屋戦で8回1失点の好投。
第41回社会人野球日本選手権大会では初戦のパナソニック戦では近藤大亮と投げ合い、8回途中1失点の好投で勝利すると、準々決勝の日立製作所戦では完封勝利を記録した。
決勝では第86回都市対抗野球大会で優勝を果たした、日本生命と対戦し、8回まで1失点の好投を見せていたものの、1点リードの9回に打たれサヨナラ負けを喫したが、これまでの活躍を評し、敢闘賞を受賞した。
2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに5巡目で指名され、契約金4000万円、年俸1000万円で合意、入団した。
背番号は28に決まった。
2016年は中継ぎとして開幕一軍入りを果たし、3月26日の福岡ソフトバンクホークス戦でプロ初登板を果たした。
しかしその後は一軍と二軍を行ったり来たりで4度の登録抹消を経験。
ルーキーイヤーは一軍で6試合に登板するも防御率13.50と打ち込まれた。
2017年は一軍登板が無く、二軍でも13試合の登板で防御率6.14と奮わず、10月28日に戦力外通告を受けた。
11月17日に育成選手として再契約、背番号が028に変更されることが発表された。
2018年は二軍で結果を残し、7月27日に支配下選手として登録され、背番号が94に変更となった。
シーズン最終戦となった10月13日に一軍登録されたものの登板は無く、この年も一軍登板0でシーズンを終えた。
二軍では24試合に登板し、83回2/3を投げて防御率2.58を記録した。
2019年は中継ぎとして3年ぶりに開幕を一軍で迎えると、3月29日の開幕戦の千葉ロッテマリーンズ戦で3年ぶりの一軍登板を果たした。
しかし、ブランドン・レアードに逆転3ランホームランを浴び敗戦投手となった。
2日後の同カードでは大乱調の先発藤平尚真の後を受け、3回裏1死2塁から登板。
2回2/3を1安打無失点と好救援を見せ、プロ初勝利を挙げた。
その後先発陣に故障者が続出し、5月5日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初先発。
4回2失点で敗戦投手となったが、首脳陣はその投球を評価し2度目の先発機会を示唆。
5月11日のオリックス・バファローズ戦で2度目の先発登板、6回途中1失点と好投すると先発へ完全転向し、4度目の先発登板となった5月26日のオリックス戦でプロ初の先発勝利を挙げた。
シ…
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