與那原大剛, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3312153 / CC BY SA 3.0
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#沖縄県立普天間高等学校出身の人物
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#読売ジャイアンツの育成選手
#沖縄県出身の人物
#1998年生
#存命人物
與那原 大剛(よなはら ひろたか、1998年3月9日 – )は、沖縄県出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。
右投右打。
読売ジャイアンツ所属。
小学3年生で野球を始め、6年生の時には県大会ベスト8進出、学童軟式野球全国大会優勝を果たす。
桑江中学校では日隈ジュリアスと同級生だった。
高校進学を控え複数の高校から勧誘を受けたものの、小学校時からバッテリーを組んでいたチームメイトと同じ高校に入ることを希望し、沖縄県立普天間高等学校に進学した。
高校では3年夏の全国高等学校野球選手権大会で県予選ベスト8に進出したのが最高成績で、甲子園出場は果たせなかったものの、身長190cm、体重89kgの体格と、最高球速148km/hの速球で注目され、県予選ではプロ11球団のスカウトが視察に訪れていた。
2015年ドラフト会議において読売ジャイアンツに3位指名され、11月9日に契約金は5,000万円、年俸は600万円(推定)で仮契約を交わした。
背番号は46に決まった。
2017年9月、三軍戦での登板時に右肘に痛みを覚え、病院で「右肘内惻側副靱帯の損傷」と診断され、保存療法での治療を選択。
2018年に入っても右肘の状態が良くならず春季キャンプ前にはPRP療法を選択し完治を目指すも、6月にトミー・ジョン手術を受けた。
10月2日、自由契約を通知された。
11月19日、育成選手として再契約した。
2019年は8月6日に行われたファーム紅白戦で1年11か月ぶりに実戦復帰し、その試合で自己最速の150km/hを計測した。
2020年は6月に右肘の肉離れで戦線離脱。
イースタン・リーグでも登板機会なしに終わった。
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