小野郁, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3113764 / CC BY SA 3.0
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#西日本短期大学附属高等学校出身の野球選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#福岡県出身の人物
#1996年生
#存命人物
小野 郁(おの ふみや、1996年10月23日 – )は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
南薫小学校2年生の時に「南薫エンゼルス」で軟式野球を始め、櫛原中学校では硬式野球の「久留米中央ボーイズ」でプレーした。
3年の夏に全国大会で立田将太と投げ合い敗れている。
西日本短大附属高校では1年生時の夏にベンチ入りし、秋にはエースになった。
3年生時の夏の甲子園・福岡大会では初戦から7回完封、9回完封、9回2失点完投、9回4失点完投で勝ち進んだが、準々決勝で清水優心、古澤勝吾、山本武白志ら擁する九州国際大付属高校に8失点を喫し7回コールド負けで敗退した。
高校通算25本塁打の「二刀流」だったが、3年生時の6月に学校の階段で転倒し左手首を骨折してからは投手に専念した。
2014年10月23日に行われたプロ野球ドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスに2巡目で指名され、契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)で合意し、入団。
背番号は15。
プロ入り時には「最初は投手一本で勝負したい」と話した。
2015年、6月29日に行われた「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」のNPB選抜チームのメンバーに選出されていたが、6月25日に出場が安樂智大に変更された。
8月18日に初めて一軍に昇格すると、翌日にプロ初登板を果たす。
4試合に登板し無失点に抑えたのは1試合のみだった。
二軍では22試合に投げ、防御率3.09、3勝を挙げた。
2016年、一軍では前年を上回る11試合に登板した。
二軍では7試合に登板し、防御率3.45だった。
2017年、二軍では26試合に登板するも、一軍ではわずか2試合のみの登板にとどまった。
シーズン終了後、背番号を28に変更。
2018年、一軍では9試合の登板だったが、二軍では39試合に登板し、防御率1.86、20セーブを記録し、イースタン・リーグの最多セーブに輝いた。
2019年、一軍では13試合の登板で、防御率6.27に終わるも、二軍では35試合に登板し、2勝3敗14セーブ防御率3.32をマークし、2年連続イースタン最多セーブを獲得した。
オフに千葉ロッテマリーンズからFA権を行使して楽天入りした鈴木大地の人的補償としてロッテへ移籍(楽天にとってはチーム初のFA人的補償による選手放出となった) 。
背番号は37。
チームに同姓でコーチの小野晋吾が在籍しているため、ユニフォームの背ネームは「F.ONO」となった。
2020年、新型コロナウイルス国内外流行に伴い、日本政府による緊急事態宣言の影響で3ヶ月遅れの6月19日の開幕ではあったが、初の開幕一軍入りを果たす。
福岡PayPayドームで開催された開幕戦で延長10回裏ノーアウトランナー1塁から6番手として登板するも、2アウト3塁から初の開幕スタメンとなる栗原陵矢にサヨナラタイムリーを打たれてしまう。
6月24日、オリックス・バファローズ戦で本拠地初登板。
1点リードの6回に2番手としてマウンドに上がり、打者3人を8球で抑えてプロ初ホールドをマークした。
26日の同カードでは7回にリリーフとして登板し、2イニングを投げた後にチームが逆転したため、プロ初勝利をマーク。
最速156km/hの直球、変化球は縦のスライダー、カーブ、フォーク、チェンジアップ、カットボールなどを投げる。
50メートル走のタイムは6秒2、遠投は100メートル。
練習試合で160km/hを記録したことがあるが、本人は150km程度であり、誤計測の可能性を指摘している(プロ入り後最速148kmだった浜屋将太も同球場のスピードガンで前日に161km/hを記録した)。
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