髙田知季, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2735584 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#亜細亜大学硬式野球部の選手
#福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#岡山理科大学附属高等学校出身の人物
#兵庫県出身の人物
#1990年生
#存命人物
髙田 知季(たかた ともき、1990年5月6日 – )は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投左打。
福岡ソフトバンクホークス所属。
自身の姓の漢字と読み方が通信販売会社ジャパネットたかたの創業者一族の姓と同じことから、愛称は「ジャパ」。
姫路市立大津小学校で1年時にソフトボールを始めると、姫路市立大津中学校時代には硬式野球の龍野ボーイズに所属した。
岡山理科大学附属高校への進学後は、1年時から正遊撃手に定着した。
在学中に唯一出場した甲子園球場の全国大会は、2年夏の第89回全国高等学校野球選手権大会で、興南高校との1回戦に「6番・遊撃手」としてスタメンで起用。
1点ビハインドの8回表に同点タイムリーを放ったが、チームは後に再び勝ち越しを許し、2 – 3というスコアで初戦敗退を喫した。
1学年後輩に九里亜蓮、2学年後輩に薮田和樹がいる。
亜細亜大学への進学後は、東都大学野球のリーグ戦で、1年秋の途中から正遊撃手の座を確保。
2年時の秋季リーグ戦では、在学中で自己最高の打率.273と、自己最多の6盗塁を記録した。
3年時の夏には、日米大学野球選手権大会に日本代表として出場。
4年時には同期生で主将の東浜巨の下で副主将、3年秋からはリーグ戦3季連続優勝、3年時と4年時には明治神宮野球大会への出場を経験している。
また、2年時からは九里、3年時からは藪田と再びチームメイトになった。
リーグ戦には、通算で84試合に出場、打率.240(275打数66安打)、1本塁打、21打点、17盗塁を記録した。
2012年のNPBドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから3巡目で指名。
契約金6,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は0。
この会議では、東浜もソフトバンクから1巡目で単独指名を受け、髙田と揃って入団している。
2013年(1年目)、春季キャンプはA組でスタートしたが、2月2日のシートノック中に嘔吐してリタイア1号となってしまい、宮崎市内の病院で風邪による胃腸炎と診断された。
復帰すると紅白戦で5打数3安打の猛打賞とA組に残した首脳陣の期待に応えた。
開幕一軍入りは逃したが、5月2日に体調不良の柳田悠岐に代わり、ウエスタン・リーグ22試合で打率.343の成績を残していたことから初めて一軍選手登録された。
5月3日の対埼玉西武ライオンズ戦の延長11回同点の場面でウィリー・モー・ペーニャの代走としてプロ入り初出場し、長谷川勇也の左前打で好走塁を見せて二塁から一気に生還し、クロスプレーを制してチームのサヨナラ勝利に貢献した。
しかし翌日5月4日の試合前の練習中に右足首を捻挫し、同日出場選手登録を抹消された。
懲罰降格された松中信彦に代わって6月15日に再昇格し、6月16日の対セ・パ交流戦、対読売ジャイアンツ戦で守備固めとして二塁手で起用されプロ初の守備についた。
出場機会が無く1試合のみで6月26日に二軍へ降格し、7月も昇格したが出番無く抹消された。
7月18日のフレッシュオールスターゲーム(秋田こまちスタジアム)に2番・遊撃手としてフル出場したが4打数無安打に終わった。
8月4日に再昇格し、正二塁手・本多雄一が故障離脱していた事から同日の対西武戦で8番二塁手としてプロ初の先発出場を果たしたが、微妙な判定などもあり3打数無安打に終わった。
8月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦で5回第2打席で大谷智久から左中間に二塁打を放ち、これがプロ初安打となった。
8月11日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦でショートゴロで出塁し、ブランドン・ダックワース – 嶋基宏バッテリーからプロ初盗塁を記録した。
本多の一軍復帰により8月12日に二軍へ降格した。
9月26日に再昇格したが代走2試合で9月30日に抹消されそのままシーズンを終えた。
1年目の先発出場は8試合だった。
二軍では78試合に出場し、打率.299、出塁率.372で終えた。
オフは11月26日から台湾で開催された2013年アジアウインターベースボールリーグに派遣され、22試合に出場し、打率.323、出塁率.394、11打点の成績を残した。
2014年、春季キャンプはA組で迎えたが初日にウイルス性胃腸炎による発熱で離脱し、2年連続リタイア1号となり、B組行きとなっ…

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