ロン・ワシントン, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2147049 / CC BY SA 3.0

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ロナルド・ワシントン(Ronald Washington, 1952年4月29日 – )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元プロ野球選手(遊撃手)。
野球指導者。
右投右打。
現在はMLBのアトランタ・ブレーブスで三塁コーチを務める。
1970年7月17日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。
ロイヤルズ傘下、ニューヨーク・メッツ傘下、ロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナー球団でプレーし、1977年9月10日にドジャースでメジャーデビューを果たした。
しかし、その後3年間はメジャーに昇格することはなく、1981年にミネソタ・ツインズで4年ぶりにメジャーでプレーした。
ツインズでは1986年までの6年間在籍。
その後、1987年はボルチモア・オリオールズ、1988年はクリーブランド・インディアンス、1989年はヒューストン・アストロズに所属し、1990年にテキサス・レンジャーズ傘下のAAA級オクラホマシティ・エイティナイナーズでプレーした後、現役を引退。
1987年9月14日のトロント・ブルージェイズ戦でカル・リプケンが父シニアの決断によって8243イニング連続出場と903試合連続フルイニング出場が途切れた時に代わって遊撃の守備に就いている。
また、1988年5月28日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では9回裏に代打として起用され、安打を記録し、オーデル・ジョーンズのノーヒットノーランを阻止している。
現役引退後、1991年から1995年はメッツ傘下のマイナー球団のコーチを務め、1996年から2006年にかけてオークランド・アスレチックスの三塁コーチ(1996年は一塁コーチ)を務めた。
2006年11月6日にレンジャーズの監督に就任。
この時、レンジャーズのベンチコーチのドン・ワカマツ、メッツの三塁コーチのマニー・アクタ、北海道日本ハムファイターズ監督のトレイ・ヒルマンらが監督候補だった(ワカマツ、アクタ、ヒルマンの肩書はいずれも当時のもの)。
2010年3月、前年7月の薬物検査でコカインに陽性反応を示していた事が発覚した。
監督としてはレンジャーズを11年ぶりにアメリカンリーグ西地区優勝に導き、さらには球団史上初となるリーグ優勝決定シリーズ進出、そしてワールドシリーズ進出を果たした(1勝4敗でサンフランシスコ・ジャイアンツに敗退)。
2011年にもリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズに2年連続出場。
セントルイス・カージナルスと対戦し、3勝2敗と王手を掛けながらもその後連敗。
2年連続でワールドシリーズ敗退となる。
2014年2月24日にレンジャーズとの契約を2015年まで延長することに合意したが、9月5日に一身上の理由で監督を辞任した。
また、これに伴い、同年11月に日本で開催される日米野球MLB選抜の監督も辞退することになった。
2015年5月22日に守備インストラクターとしてアスレチックスに復帰。
8月24日より三塁コーチに配置転換され、2016年まで務めた。
2016年10月11日に2017年シーズンよりアトランタ・ブレーブスの三塁コーチへの就任が発表された。

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