守屋功輝, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3093691 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#岡山県立倉敷工業高等学校出身の野球選手
#Honda鈴鹿硬式野球部及びその前身チームの選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#岡山県出身の人物
#1993年生
#存命人物
守屋 功輝(もりや こうき、1993年11月25日 – )は、岡山県倉敷市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
倉敷市立玉島南小学校4年時に「玉南少年野球」に入団し野球を始め、小学校5年時には中堅手として岡山県大会での準優勝を経験した。
倉敷市立黒崎中学校時代は同校の軟式野球部に所属し、投手に専念した。
岡山県立倉敷工業高校への進学後、1年秋からベンチ入り。
2年秋からエースとなった。
在学中は春夏とも全国大会出場はなし。
Honda鈴鹿へ入社。
1年目から公式戦に登板したものの、2年目は故障や体調不良の影響で登板の機会がなかった。
3年目はJABA東京スポニチ大会の対大阪ガス戦で公式戦初先発。
都市対抗の東海地区予選では、JR東海との東海第4代表決定戦に6回1死2塁から救援で登板すると、打者11人を完璧に抑えた末にチームを本選出場に導いた。
チームメイトには濱矢廣大、土肥寛昌がいた。
2014年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから4巡目で指名。
契約金5,000万円、年俸840万円(金額は推定)で入団。
背番号は43。
なお、指名後は日本選手権に出場。
明治安田生命との初戦で、5番手投手として救援登板するも逆転の適時打を浴び、チームは初戦敗退となった。
2015年には、同期入団の横山雄哉・江越大賀などと共に、フレッシュオールスターゲームのウエスタン・リーグ選抜メンバーに選出されたが、天候不良による中止で登板機会はなかった。
同リーグ公式戦には15試合に登板。
1勝3敗、防御率4.75という成績を残したが、一軍昇格に至らないままシーズンを終えた。
2016年、オープン戦で好投を見せ、4月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)に先発投手として初登板。
5回途中10被安打5失点という内容で敗戦投手となった後、救援で3試合に登板。
また、2年連続でフレッシュオールスターゲームのウ・リーグ選抜に入り、7月14日の同ゲーム(倉敷マスカットスタジアム)で9回表に救援登板し地元での凱旋登板を果たした。
2017年、ウ・リーグ公式戦41試合に登板。
2勝3敗、防御率4.94の成績を残した。
その一方で一軍公式戦では1試合の登板にとどまった。
シーズン終了後に台湾で催されたウインターリーグでは、故障で出場辞退したチームメイトの望月惇志に代わりNPBウエスタン選抜として出場した。
2018年には、ウ・リーグ公式戦でチームトップの39試合に登板。
2勝2敗2セーブ、防御率3.35という成績で、二軍の8年ぶりリーグ制覇、12年ぶり日本一に貢献したが、一軍公式戦では4試合の救援登板にとどまり、防御率が11.57にまで達した。
2019年、前年に二軍監督を務めた矢野燿大の一軍監督就任に伴い、プロ入り後初めて沖縄宜野座での一軍春季キャンプに抜擢。
キャンプ中の実戦登板やオープン戦を通して好投を続け、開幕一軍入りこそ逃したものの、中継ぎ要員として4月上旬に一軍へ昇格すると、同月だけでキャリアハイの登板数をマーク。
シーズン初登板であった4月6日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)から同月19日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(甲子園)まで9試合連続無失点を記録した。
その間、17日の対ヤクルト戦(明治神宮球場)でプロ初ホールドを記録。
その後も登板を重ね、5月15日の対巨人戦(東京ドーム)でプロ初勝利を挙げた。
シーズンを通して一軍に定着、最終的に自己最多を大きく更新する57試合に登板し、2勝2敗7ホールド、防御率3.00という成績で、チームの2年振りクライマックスシリーズ(CS)進出へ大きく貢献した。
CSでも横浜DeNAベイスターズとの1stステージ(横浜スタジアム)、巨人とのファイナルステージ(東京ドーム)で2試合ずつ救援登板しいずれも無失点に抑えた。
サイドスローに近い低めの変則スリークォーターから繰り出す最速154km/hのストレートを軸に、変化球はカーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークなどを操る。
ゴロアウトが多いグラウンドボールピッチャーである。
リリーフ投手として投げっぷりの良さや、どのような局面にも対応できることが評価されている。
阪神の一軍救援陣に定着した2019年のシーズン中には…

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