中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 – )は、広島県広島市中区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。

選手としての特徴
打撃

中田のスイング(2009年の日本シリーズにて)
高校時代に推定飛距離170メートルの本塁打を放ったこともある長打力を持ち味とし、体勢を崩されても打球をスタンドに運ぶことが出来る。初球から積極的に振っていくスタイルで、四球率は通算6.7%と平均的だが、反面、2011年にはボールゾーンのスイング率が30%を越えるなど選球眼に難があった。こうした選球眼の悪さが課題にあったものの、後述の「ガニ股打法」などの変遷を経て、徐々に四球数・三振数・バットコントロールを改善していった。
2014年頃からは緩急をつけるようになり、2ストライク時や得点圏で確実に1点が求められる場面によっては、足をわずかに上げミート重視のコンパクトな打撃に切り替えることが多くなった。本人も打点へのこだわりを述べている。その影響からか、IsoP(長打力を測る指標)は、2013年にリーグ1位の「0.246」を記録して以後の4シーズン(2014年 – 2017年)は、「0.186→0.215→0.181→0.150」と、長距離打者としては比較的抑えられた数値になっている。
2015年 – 2017年の3シーズンにおいて、三振率は「19.6%→20.2%→19.0%」と、リーグ平均値を前後する数値で推移しているが、空振り率は「12.4%→13.2%→12.2%」と、リーグ平均値よりも望ましくない数値で推移している(リーグ平均値は「9.4%→9.0%→9.8%」)。また、初球スイング率では「31.9%→37.7%(リーグ2位)→33.7%」と、リーグ平均値を上回る高い数値で推移しており、積極的に振る傾向の強い打者であるといえる。
打球方向の「引っ張り打球割合」が、2015年 – 2017年の3シーズンにおいて、「51%→54%→49%」と高い数値で推移しており(特に2016年シーズンの「引っ張り打球割合」はリーグ1位であった)、日本人打者の中でも、プルヒッターの傾向の強い打者であることが示されている。また、2015年 – 2017年の3シーズンにおける「フライボール率」は、「55.6%(リーグ3位)→59.4%(リーグ1位)→58.2%(リーグ1位)」と高い数値で推移しており、打球におけるフライボールの多い打者(フライボールヒッター)であるといえる。
打撃フォームの変遷が激しく、2011年には選球眼の改善を試みるため、脇を閉めて足をガニ股に開くノーステップ打法に取り組んでいた。しかし、下半身に負担がかかるため後半戦からはガニ股をやめ、当時の打撃コーチであった福良淳一やチームメイトだった稲葉篤紀からアドバイスを受けながらすり足打法に取り組んだ。この年のオフにはケビン山崎の指導を受けて下半身を強化し、ガニ股打法を1年間継続させることを目指したが、翌2012年は5月まで打率.169と不振に陥ったため、同月下旬からは福良の指導を受け左足を軽く上げるオーソドックスな打撃フォームとなった。
栗山英樹の監督就任後の2012年から、ほぼ一貫して4番打者として起用され続けているが、栗山曰く、中田を4番として起用し続ける理由として、「自分の中の感覚だけど、いつも調子が悪くても、球の強い投手がきても、絶対に打てる可能性をいつも感じさせる選手。特別なタイプの投手を打てない、というのはダメ。どんな投手が来ても、いつも期待できる選手でないと4番を張れないし、何とかしてくれる可能性をいつも感じている打者だから。調子が悪くてもバットを振るし。その可能性が高くないとチームを背負えないので」という趣旨のことを述べている[124]。
犠飛の多い選手であり、特に2018年シーズンは歴代単独2位となる13本を記録した。
2020年時点でシーズン100打点を5度記録している。本人も打点に強い拘りを持っており、2019年のオフには「打点でもっと貢献したかった。俺はホームランを30本、40本打ちたいという欲よりも毎年100打点打ちたいという欲の方が強い。打点の方が直接の貢献度が大きいと個人的に思うから。ホームランは調子が良ければ、ポンポンと出るもの。打点というのは場面、場面でみんながつくってくれるチャンスなので。バントして犠牲になってくれている奴もおれば、スチールして(ヒット)1本で(ホームに)還れる状況をつくってくれる奴もいる中での打点なんでね。同じ1点でも重みが違うかなと思う」とコメントした。

走塁
足は特別速い訳でもなく、一塁到達は4.3秒台である。高校生時で50メートル走のタイムは6秒2。第4回WBCではキューバ戦で盗塁を記録している。

守備
入団当初は三塁手と一塁手で起用されていたが、出場機会の増加や強肩を活かすため、2010年からは左翼手として起用されるようになった。怪我の影響もあり、2015年からは一塁手に再転向している。また、2014年には三塁手へ再転向が提案されるも、守備の悩みから打撃に悪影響を受け開幕は左翼手となり、結局同年の三塁手としての出場は無かった。2019年にも三塁手転向プランがあったが、結局三塁手としての一軍出場はないままである。
外野手としては、チームメイトだった小谷野栄一から「150km/hくらい出ている」と評され、高校時代に投手として最速151km/hを記録した強肩に加え、正確な送球を持ち味とし、2011年と2012年には外野手としてリーグ最多の補殺を記録、糸井嘉男、陽岱鋼と共に球界屈指の外野陣と呼ばれるようになった。2012年には左翼手で両リーグトップのUZR23.7を記録した。
一塁手としても、ゴールデングラブ賞を4回受賞しているように評価が高い。非常に柔らかいハンドリングや、スローイングの正確さと強肩に定評がある。

人物
ヘルメットと帽子のつばには『克己心』という言葉が書いてある。
日本ハム時代はチーム屈指の歌唱力を誇ると言われ、カラオケでの十八番は松山千春の「大空と大地の中で」だという。
好物は焼肉。広島でしか食べられない「コウネ」が好き。
喫煙者である。
高校の先輩である西岡剛と親交が深く、例年自主トレをともにしている。
2011年まで同僚だったダルビッシュ有と渡部龍一を慕っている。ダルビッシュからは「日本記録の56本塁打を打つまで認めない」などと叱咤され、ダルビッシュのメジャー移籍後も言葉をかけられている。2012年には前年に戦力外通告を受け退団した渡部のラッキーカラーである紫色のグッズを身につけて試合に臨んだ。
日本ハム時代は、後輩にはとても気さくに振る舞い、後輩選手のモチベーション向上のために自身が考案した「中田賞」を設けていた。毎年、中田自ら後輩選手のシーズン目標(本塁打数や安打数、勝利数など)を設定し、その目標をクリアできればポケットマネーで後輩の希望する賞品(主に高級ブランド品)をプレゼントしていた。これは、かつて稲葉篤紀や西岡に成績に応じて食事をご馳走してもらった経験があるからだという。特に杉谷拳士のことを「かわいい後輩」としており、その親交ぶりが時折メディアで取り上げられるほどである。
スライディングパンツに擦れたり挟まったりして集中を乱されたくないという理由で、バリカンで股間の剃毛を行っている。
2011年8月26日の西武戦において、自身が無安打で敗戦した際、3学年上の鵜久森淳志と小競り合いの喧嘩をするトラブルを起こした。その日出場のなかった鵜久森が悔しそうにバットを片付けていた様子に腹を立てた中田が「早くどいてもらっていいですか」と言うと、「殺すぞ」「殺してみい、こらぁ」といった怒鳴り合いに発展した。その場でコーチに止められ、後に和解している。
2018年1月27日より写真共有SNS・Instagramで自身のアカウントを開設し、プロフィールには自らを「北のジャイアン」と記した。高校生時代の写真などを投稿し、開始2日でフォロワーが14万人に達するほどの好評を博す。
日本ハム時代、2018年シーズンから大野奨太のFA移籍によって、チームキャプテンに就任したが、チームメイトからは以前からの呼び名である「大将」と呼ばれていた。
2012年1月に高校時代の同級生と結婚。その翌年2013年1月に第1子長女が誕生し、2016年4月に第2子次女、2019年8月に第3子長男、2021年7月に第4子次男が誕生している。第3子は8月9日の「野球の日」生まれであり、「なにか縁があるのかなと思う。ましてや初めての男の子だし」と語っている。

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