ブルックス・コンラッド, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2671151 / CC BY SA 3.0
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#在日外国人の野球選手
#アリゾナ州立大学出身の野球選手
#オークランド・アスレチックスの選手
#アトランタ・ブレーブスの選手
#ミルウォーキー・ブルワーズの選手
#タンパベイ・レイズの選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#サンディエゴ・パドレスの選手
#アメリカ合衆国の野球監督
ブルックス・リッチフィールド・コンラッド(Brooks Litchfield Conrad, 1980年1月16日 – )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
右投両打。
ニックネームは、”Raw Dog”。
「コンラド」と表記されることもある。
13歳の時にカリフォルニア州のボーイズリーグの代表として初来日し、大阪や長崎でプレーした経験を持つ。
もともと右打ちであったが、高校に入学する1年程前にスイッチヒッターに転向した。
モンテ・ビスタ高等学校を経て、アリゾナ州立大学へ進学。
2001年のMLBドラフトでヒューストン・アストロズから8巡目(全体の236番目)で指名され、入団。
AAAのラウンドロック・エクスプレスなどでプレー。
2007年10月29日にFAとなる。
2007年12月8日にオークランド・アスレチックスと契約。
2008年は東京ドームでのメジャーリーグ開幕戦のためアスレチックスの一員として来日し、3月22・23日に開催された日米プレシーズンゲーム「読売ジャイアンツ(巨人)対アスレチックス」「阪神対アスレチックス」戦に出場。
阪神戦では代打で出場し、藤川球児と対戦している。
同年7月21日の対タンパベイ・レイズ戦でメジャーデビューを果たす。
のちに阪神でチームメイトとなるマット・マートンと同じチームでプレーした。
メジャー出場は6試合に留まり、オフの10月8日にFAになった。
2008年11月18日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結ぶ。
2009年7月3日、メジャーに再昇格した最初の打席でメジャー初本塁打となる代打3ランを放った。
2010年は開幕当初から代打中心で起用され、5月20日の対シンシナティ・レッズ戦では9回裏にチームが3対9から6対9と追い上げ、なおも1死満塁という場面で代打で出場し、レッズのクローザーフランシスコ・コルデロから代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放った。
3点差の場面での代打逆転満塁サヨナラ本塁打は1950年7月8日のジャック・フィリップス以来メジャー史上2人目であった。
さらに、同年7月24日の対フロリダ・マーリンズ戦では、8回表に2対5から5対5と追いつき、なおも1死満塁の場面で代打満塁本塁打を放った。
8月10日の対ヒューストン・アストロズ戦では1対2とリードされた9回表にクローザーのマット・リンドストロムから逆転2ラン、8月13日の対ロサンゼルス・ドジャース戦では7回裏に黒田博樹から本塁打を打ち1対0の勝利に貢献した。
この年は103試合に出場、打率.250・8本塁打・33打点を記録した。
同年のナショナル・リーグのディビジョンシリーズでは第1戦から二塁手としてスタメン起用されたが、1勝1敗で迎えた第3戦でディビジョンシリーズタイ記録となる1試合3失策を記録、そのうち2つがタイムリーエラーとなり2対3で逆転負けする大きな原因となった。
第4戦ではスタメンを外され、サンフランシスコ・ジャイアンツに1勝3敗で敗退した。
2011年も代打中心で起用され、5月1日の対セントルイス・カージナルス戦では5対5で迎えた9回裏、1死1・2塁の場面で代打サヨナラヒット、5月25日の対ピッツバーグ・パイレーツ戦では2対2で迎えた延長11回表、1死1塁の場面で代打決勝2ランを放った。
オフの12月12日にFAとなった。
レイズ時代(2012年7月24日) 2012年1月7日にミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだ。
5月3日にブルワーズとメジャー契約を結び、25試合に出場するも、打率.075・2本塁打・6打点の成績に留まった。
6月19日にDFAとなった。
2012年6月22日にウェーバーでレイズへ移籍。
レイズでは、24試合に出場したものの、打率.172・2本塁打・9打点の成績に留まり、8月7日にDFAとなり、8月10日にAAA級ダーラム・ブルズへ降格した。
この年はAAAクラスのマイナー2チーム合計で、46試合に出場し、打率.331・14本塁打・40打点を記録している。
オフの10月10日にFAとなった。
2012年…
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