今野龍太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2878491 / CC BY SA 3.0

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今野 龍太(こんの りゅうた、1995年5月11日 – )は、宮城県玉造郡岩出山町(現在の大崎市)出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
東京ヤクルトスワローズ所属。
小学校2年生の時に地元のスポーツ少年団・岩出山フェニックスで野球を始めると、岩出山中学校時代には軟式野球部に所属した。
宮城県岩出山高等学校への進学後は、1年時よりベンチ登録。
3年生だった2013年には部員わずか11人で臨んだ春季宮城県北部地区大会での準優勝によって、チームを30大会ぶり(東日本大震災直後で春の大会が中止された2011年を含めると31年ぶり)に春季宮城県大会出場へ導いた。
宮城県大会の初戦で宮城県鹿島台商業高等学校打線から19三振を奪うなど、地区・県大会を通じて、登板6試合中4試合で2桁奪三振を記録。
通算53イニングで43安打24失点を許しながらも、69三振を奪った。
また、全6試合を1人で投げ抜き、1完封を含む4完投勝利を記録した。
3年夏の宮城県大会では、宮城県米谷工業高等学校と対した初戦(2回戦)で6者連続を含む16奪三振とノーヒットノーランを達成。
許した走者は四球1、死球3、味方の失策5人で、チーム5年ぶりの県大会初戦突破に貢献した。
3回戦の聖和学園戦では毎回の12三振を奪うが、8回9安打5失点で完投負けを喫した。
この3回戦進出が在校中の最高成績で、春夏ともに甲子園での全国大会出場の実績はない。
なお今野とバッテリーを組んでいた同級生で主将の山田裕之は、卒業後の2015年春から宮城県高等学校野球連盟所属の現役最年少審判として活動している。
2013年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから9巡目で指名。
支配下登録選手としての入団が前提の指名選手としては最後(76番目)の指名で、会議前日に今野の投球をビデオで見た一軍監督の星野仙一(当時)が、「面白い。ええやないか」と評価したことで指名が実現したという。
後に、出来高分(1,000万円)を含めた契約金1,500万円、年俸440万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号は99。
2014年、速球で150km/hを出すことを最初の目標として、 ウエイトトレーニングや下半身強化に取り組んだ結果、入団時から体重が7kg増加。
イースタン・リーグ公式戦では、4月19日の対北海道日本ハムファイターズ戦で150km/h、その後の試合では153km/hを計測した。
新人・若手選手を積極的に起用する星野の方針で、8月17日にプロ入り後初の一軍昇格。
一軍公式戦では、8月21日の対日本ハム戦(旭川スタルヒン球場)での救援登板を皮切りに、通算5試合に登板した。
4人の新人投手だけで継投した8月27日の対埼玉西武ライオンズ戦(楽天koboスタジアム宮城)では、先発・松井裕樹、2番手・相原和友に次ぐ3番手として8回表一死から登板すると、ソロ本塁打で1点を失いながらも二死を取ったうえで西宮悠介につないでいる。
2015年、イースタン・リーグ公式戦では、17試合の登板で4勝を記録。
一軍公式戦でも2試合に登板した。
シーズン終了後の10月8日には、翌2016年シーズンから監督へ就任する梨田昌孝が自身の希望で背番号99を着用することを受けて背番号を69に変更することが球団から発表された。
しかし、二軍調整中の7月に右膝外側の半月板を痛めて10月14日に患部の縫合手術を受けたことから、球団は10月26日に今野の支配下選手契約を解除し、11月19日に育成選手として再び契約を結んだ。
また、前述した手術の影響で背番号69を着用しないまま、育成選手への移行を機に背番号を090へ変更した。
2016年、前年に受けた手術のリハビリに専念したため、実戦への登板は見送られた。
育成選手に関するNPBの規約に沿って、10月31日にいったん自由契約選手として公示され、後に育成選手として再契約した。
2017年、オープン戦を3試合続けて無失点で凌いだことを受けて、レギュラーシーズン開幕直後の4月6日に、球団から支配下登録選手への復帰と出場選手登録が発表された。
背番号は98。
4月12日の対埼玉西武ライオンズ戦(Koboスタ宮城)で一軍公式戦2年ぶりの登板を果たした。
一軍公式戦への登板はこの試合だけだったが、イースタン・リーグの公式戦で…

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