中﨑翔太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2222686 / CC BY SA 3.0
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中﨑 翔太(なかざき しょうた、1992年8月10日 – )は、広島東洋カープに所属する鹿児島県曽於郡財部町(現:曽於市)出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
埼玉西武ライオンズや栃木ゴールデンブレーブスでプレーした中﨑雄太を兄に持つ。
曽於市立財部小学校では軟式野球の財部サンデーズでプレー。
曽於市立財部中学校では都城リトルシニアに所属していた。
日南学園高校では2年秋にエースとして宮崎県大会で優勝、3年春には県大会で準優勝している。
2010年10月28日に行われたドラフト会議で広島から6位指名を受けた。
11月17日に契約金2500万・年俸450万円で契約した。
2012年9月19日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ入り初先発し、6回まで無失点と好投するも中村悠平に頭部死球を与えて危険球退場処分を受け敗戦投手となった。
2013年4月12日の中日ドラゴンズ戦で中継ぎ登板し、失点を許すも直後に味方が逆転しプロ入り初勝利を挙げた。
4月20日の読売ジャイアンツ戦では、予告先発投手の前田健太が右上腕三頭筋筋膜炎で登板を回避したため急遽代役を務めたが、長野久義、ホセ・ロペスにホームランを許し5回2失点で敗戦投手となった。
更に5月4日の巨人戦(東京ドーム)で先発したものの、長野に満塁ホームランなどを浴び4回6失点で降板した。
その後登録抹消を経て、6月8日の埼玉西武ライオンズ戦で7回を無失点に抑えプロ入り初の先発勝利を挙げた。
2014年は前シーズンオフに受けた血行不良の手術の影響もあり、6月6日まで一軍昇格は無かった。
昇格後はロングリリーバーとして待機していたが、7月23日のヤクルト戦(神宮球場)にて初セーブをあげると、それをきっかけに勝ち試合にも救援登板した。
特に一岡竜司の離脱後は8回を投げるセットアッパーに抜擢され、夏場以降の救援陣を支えた。
クライマックスシリーズでも1stステージ第2戦の延長10回、11回を無失点で投げきっている。
2015年は開幕からセットアッパー候補として一軍に帯同。
2015年からの守護神であるデュアンテ・ヒース、中﨑と同じくセットアッパー候補である一岡の被安打、ないし与四球の多い不安定な内容もあり4月半ばからは抑えの座に座った。
中﨑も一時は防御率5点台に達し、6月5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では登場時にブーイングを浴びた場面もあったが、そのきっかけとなった6月2日の北海道日本ハムファイターズ戦より後の試合ではセーブの失敗は無く、6月5日以降46試合(48 1/3回)を6失点(自責5)、防御率0.93で抑え、守護神として定着した。
最終的に29セーブをマークし、2010年の横山竜士以来となる球団日本人二桁セーブ投手、永川勝浩以来6年ぶりとなる球団日本人20セーブ投手となった。
2016年は春季キャンプの段階で抑えに指名された。
前年苦戦した春先を含み、年間を通し不調なく登板を重ね、リーグ優勝決定までの60登板(60 1/3回)で防御率1.37を記録。
今村猛、ブレイディン・ヘーゲンズ、ジェイ・ジャクソンと共に鉄壁のリリーフを形成し、チームの躍進に貢献した。
ペナントレース優勝試合となる9月10日の巨人戦(東京ドーム)でも9回裏2点リードで登板しリードを守り、胴上げ投手となった。
ポストシーズンにも登板、日本シリーズ進出決定試合での9回表1点リードで登板しリードを守り、シーズン2度目の胴上げ投手となった。
クライマックスシリーズではファイナルステージ(対横浜DeNAベイスターズ)の第2戦、第4戦でセーブを記録したが、ファイターズとの日本シリーズではセーブ機会での登板はなく、ビジターとなる第5戦(札幌ドーム)9回裏同点での登板では西川遥輝へ1992年の杉浦亨以来日本シリーズにおいて二人目となるサヨナラ満塁本塁打を献上し敗戦投手となった。
シーズン終了後、10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出されたが、10月31日に右腰ならびに右股関節痛のため辞退した。
2017年は4月10日に右腹部の違和感で出場選手登録を抹消され、11日に広島市内の病院で「腰痛症」と診断された。
5月23日に一軍復帰して以降は離脱期間中にクローザーを務めていた今村猛に守護神の座を譲り、セットアッパーとしてチームを支えた…
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