内田靖人, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2884260 / CC BY SA 3.0

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内田 靖人(うちだ やすひと、1995年5月30日 – )は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
2013年9月6日 小学校2年時に、常磐軟式野球スポーツ少年団で野球を始めた。
中学生時代に所属していたいわき松風クラブでは、4番打者として、園部聡とともにクリーンアップを任されていた。
中学校卒業後に、茨城県の常総学院高校へ進学。
捕手として硬式野球部へ入部したが、1年時の春からベンチ入りを果たすと、打撃を買われて対外試合に三塁手として出場することが多かった。
2年時の夏に、「3番・三塁手」として第94回全国高等学校野球選手権大会に出場。
桐光学園高校との2回戦で松井裕樹から2安打を放ったが、チームは松井から19三振を奪われた末に敗れた。
2年時の秋には、右大腿部の肉離れに見舞われながらも、主将・一塁手・4番打者として茨城県秋季大会に出場。
チームを県大会の優勝と秋季関東大会への準決勝進出に導いた。
3年時の春には、「4番・捕手」として第85回記念選抜高等学校野球大会に出場。
大竹耕太郎擁する済々黌高校との初戦で2安打を放ったものの、チームは完封負けを喫した。
3年夏の全国高等学校野球選手権茨城大会では、大会タイ記録の4本塁打をマーク。
霞ヶ浦高等学校との決勝でサヨナラ本塁打を放つと、続く第95回全国高等学校野球選手権大会でも、北照高校との1回戦で3点本塁打を放ってチームの勝利に貢献した。
上林誠知擁する仙台育英高校との2回戦には、捕手として出場。
座ったままで二塁に牽制球を投げるなど、強肩を披露した。
福井商業高校との3回戦でも長谷川凌汰から本塁打を放ったが、準々決勝で髙橋光成擁する前橋育英に逆転負けを喫した。
甲子園球場の全国大会では、通算で打率.345(29打数10安打)、2本塁打を記録。
3年時秋の第26回AAA世界野球選手権大会では、日本代表の「4番・指名打者」としてチームの準優勝に貢献した。
2013年のNPBドラフト会議で、捕手として東北楽天ゴールデンイーグルスから2巡目で指名。
契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
入団当初の背番号は8。
2014年、捕手登録だったが、「シーズンを通じて二軍で経験を積ませる」という二軍監督の大久保博元の方針で、春季キャンプから三塁手に専念。
イースタン・リーグ公式戦では、開幕戦から7試合連続安打を記録した。
シーズン終盤に一軍に登録されると、10月4日の対オリックス・バファローズ戦(楽天koboスタジアム宮城)で、一軍公式戦での初安打を放った。
2015年、春季キャンプ直前の1月21日に、ポジション登録を捕手から内野手へ正式に変更した。
シーズン中には、イースタン・リーグ公式戦での通算打率が.194にとどまるほど低調で、一軍公式戦への出場機会はなかった。
シーズン終了後のみやざきフェニックス・リーグでは、5本塁打をマーク。
シーズン終了後に、千葉ロッテマリーンズから国内FA権の行使により移籍してきた今江敏晃が、移籍前と同じく背番号8を着用したことにより、背番号を36へ変更した。

2016年、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦で序盤から好調を維持すると、6月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦(koboスタ宮城)で2年振りに一軍公式戦へ出場。
「7番・三塁手」としてスタメンで起用されると、2安打と一軍公式戦初打点を記録した。
さらに、6月16日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)では、田原誠次から一軍公式戦初本塁打を放った。
一軍公式戦での通算本塁打は2本にとどまったが、イースタン・リーグ公式戦ではチーム2位の13本を記録した。
2017年、レギュラーシーズンの終盤に一軍へ昇格すると、代打やスタメンで公式戦6試合に起用されたが、シーズン初打席から20打席目までは無安打(9三振)と不振。
一軍のレギュラーシーズン最終戦であった10月10日の対ロッテ戦(koboパーク宮城)で、ゼラス・ウィーラーに代わって途中から三塁の守備に就くと、その後の打席で一軍公式戦唯一の安打を放った。
イースタン・リーグ公式戦には109試合に出場。
打率.234ながら、18本塁打、66打点という好成績で、イースタン・リーグの本塁打王・打点王のタイトルを受賞した。
2018年…

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