スコット・スピージオ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1171958 / CC BY SA 3.0

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#1972年生
スコット・スピージオ(Scott Edward Spiezio, 1972年9月21日 – )は、アメリカ合衆国イリノイ州ジョリエット出身の元プロ野球選手。
右投両打。
父のエド・スピージオもカージナルスなどでプレーした元メジャーリーグ選手(三塁手)。
1993年のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスから6巡目で指名され契約。
1996年9月14日にメジャーデビュー。
三塁のほか二塁・一塁も守り、ユーティリティープレイヤーとして活躍。
2000年にアナハイム・エンゼルスに移籍後は、内野のほかライト・レフトも守った。
2002年はキャリアハイの140安打、打率.285、出塁率.371を記録。
同年のサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、2勝3敗と王手をかけられた第6戦の7回裏、0対5と敗色濃厚の場面で反撃のきっかけとなる3ランホームランを打った。
8回裏にはトロイ・グロースが逆転タイムリーツーベースを打ち6対5で勝利。
第7戦も勢いに乗って勝利し、エンゼルスの球団初となるワールドシリーズ優勝に貢献した。
ポストシーズンは地区シリーズから合計16試合で19打点を挙げ、この1ポストシーズン19打点の記録は、1997年のサンディー・アロマー・ジュニア(インディアンス)と並ぶ最多タイ記録である。
2003年シーズン後、三塁手が手薄となっていたシアトル・マリナーズに移籍。
2004年は開幕から正三塁手としてプレーするも、同じく前年オフに移籍してきたリッチ・オーリリア、この年で引退する主砲エドガー・マルティネスとともに打撃不振に陥り、シーズンが終わるまで復調することはなかった。
結局、112試合に出場し、打率.215と低調な数字に終わった。
2005年は、前年オフにリッチー・セクソンとエイドリアン・ベルトレの両大砲を獲得したことにより、出場機会が激減した。
29試合の出場で打率.064に終わり、8月19日に自由契約となった。
2006年2月にカージナルスとマイナー契約を結び、春季キャンプで活躍。
開幕ロースター入りを果たし、エンゼルス時代のチームメイトデビッド・エクスタインと再び同じチームでプレーすることとなった。
代打や三塁手スコット・ローレンの控えなどで出場し、チームはプレーオフに進出。
ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第2戦で同点2点タイムリー三塁打、第3戦で先制2点タイムリー三塁打を打つなど計5打点を挙げ、4勝3敗でメッツを破った。
デトロイト・タイガースとのワールドシリーズでは4打数ノーヒットに終わったものの、カージナルスが4勝1敗でタイガースを破り、自身2回目のワールドシリーズ優勝を経験した。
シーズン後、カージナルスと2年契約を結んだ。
2007年6月15日のアスレチックス戦で、自身初の投手を経験。
8回裏、3対14と大差で負けている場面で4番手として登板し、打者4人を内野ゴロ・四球・レフトファウルフライ・ライトフライで1イニングを無失点に抑えた。
これにより、まだ守っていないポジションはキャッチャー・ショート・センターの3つとなった。
しかし2008年2月27日、飲酒運転など6つの罪で逮捕状が出ていることが発覚しセントルイス・カージナルスから解雇された。

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