森雄大, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2683483 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#東福岡高等学校出身の野球選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの育成選手
#福岡市出身の人物
#1994年生
#存命人物
森 雄大(もり ゆうだい、1994年8月19日 – )は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。
左投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
小学4年生から「福岡アストロズ」で野球を始め、内浜中学校時代は軟式野球部に所属。
2年生の時にはホークスカップで優勝投手となる。
軟式野球引退後はKボールの福岡県代表に選ばれ、全国4強入りを果たす。
東福岡高等学校進学後は1年の夏からベンチ入りを果たす。
2年の夏前には、右膝の故障や急性虫垂炎などでブランクを作ったが、2年秋には当時の自己最速の145km/hを記録するなど、同級生の野原総太との左右のWエースとなる。
2年秋・3年春の福岡県大会では、背番号1をつけ初戦に先発したが、いずれも敗退。
3年夏の県大会では、野原が背番号「1」をつけ、森の背番号は「11」となった。
東福岡高校の野球部監督の葛谷修は、「野原先発・森リリーフ」という構想を持っていたが、その構想は森とチームと双方のためにならないと考え、初戦である2回戦の試合前日、森に先発させることを決めた。
森はその期待に応え、3回を無失点に抑えてチームは20-0で勝利した。
その後県ベスト8まで勝ち進んだが、甲子園出場はならなかった。
野球部の同期には松本友がいる。
2012年10月25日に行われたプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープと東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目指名を受け、抽選の結果、楽天が交渉権を獲得。
11月27日に契約金8000万円、年俸840万円で仮契約した。
背番号は本人の希望により「16」。
2013年、監督の星野仙一の「3年で(戦力として)出てくればいい」という育成方針の下に、イースタン・リーグの開幕直後から、先発投手として公式戦で経験を積んだ。
7月18日のフレッシュオールスターゲーム(秋田こまちスタジアム)では、イースタン・リーグ選抜のメンバーに選出され、同選抜の先発投手として登板を予定していた。
しかし、試合開始直前のウォーミングアップで腰を痛めたため、大事を取って急遽登板を回避した。
結局、一軍公式戦への登板機会はなく、イースタン・リーグ公式戦には9試合に登板。
3勝4敗、防御率5.71という成績を残した。
2014年、4月3日に自身初の一軍登録を果たすと、同日の対オリックス・バファローズ戦(コボスタ宮城)に、先発投手として一軍デビュー。
5回3分の2を投げて2失点と好投したものの、打線の援護に恵まれなかったこともあって敗戦投手になった。
4月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(東京ドーム)では、先発投手として5回3分の2を1失点に抑え、一軍公式戦での初勝利を挙げた。
10代の投手による一軍公式戦勝利は球団史上3人目であるが、左腕投手では森が初めてである。
しかし、不安定な投球が多いことから2軍落ちとなり、わずか8試合で2勝3敗、防御率5.52の成績でシーズンを終えた。
シーズン終了後は第1回21U野球ワールドカップに出場する侍ジャパンのメンバーとして招集された。
先発として活躍するが決勝の台湾戦では序盤から乱調で2回途中に降板した。
2015年、二軍でローテーションを守り、前半から好投を続けた。
その成績が認められ、5月13日のオリックス戦で一軍先発するも、3回7失点でノックアウト。
翌日二軍に降格した。
その後、9月27日の西武戦に再び一軍に上がり敗戦投手になったが、7回3失点と好投した。
続く10月3日の千葉ロッテマリーンズ戦でも7回無失点の好投を見せた。
二軍では防御率2.64(リーグ2位)、8勝(リーグ4位)5敗、奪三振95(リーグ3位)をマーク。
2016年、5月に胸郭出口圧迫症を発症。
ルーキー以来の一軍登板無し、二軍でも9試合の登板に終わった。
オフにはメキシコのウィンターリーグに派遣される。
2017年、4月6日のソフトバンク戦に2年ぶりの一軍登板を果たすと5月26日の西武戦まで好投を続けるも、6月7日のDeNA戦では制球難が露呈し、2回を投げて6四球8失点で敗戦投手となり二軍降格。
8月15日に再び一軍登録され西武戦に中継ぎ登板するも、再び制球に苦しみ、2回を投げて押し出し含む与四球4で6失点と炎上し、再び二軍降格。
10月8日に再び一軍登録され、10月11日のロッテ戦では3回から2番手としてマウンドに上がり、4回途中無失点で…
WACOCA: People, Life, Style.