ビクトル・ディアス (野球), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2510652 / CC BY SA 3.0

#ドミニカ共和国の野球選手
#ニューヨーク・メッツの選手
#テキサス・レンジャーズ及びその前身球団の選手
#ハンファ・イーグルス及びピングレ・イーグルスの選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#メキシコシティ・レッドデビルズの選手
#ラグナ・カウボーイズの選手
#ブリッジポート・ブルーフィッシュの選手
#レイノサ・ブロンコスの選手
#サントドミンゴ出身の人物
ビクトル・イスラエル・ディアス・オチョア(Víctor Israel Díaz Ochoa, 1981年12月10日 – )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。
中日時代の愛称は「チョビ」。
2000年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから37巡目で指名を受け、入団。
2004年9月11日、ニューヨーク・メッツからメジャーデビュー。
2005年、2006年もメジャー出場している。
2007年はテキサス・レンジャーズでプレーした。
2008年はシアトル・マリナーズとヒューストン・アストロズ傘下のマイナーチームに所属したが、メジャー昇格は出来なかった。
2008年12月1日にハンファ・イーグルスと契約したが、2009年シーズンは守備が安定せず打撃も確実性を欠いて高評価を得られず、投手不足のチーム事情からシーズン途中の7月8日に退団した。
同年7月中にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだが、メジャーリーグには昇格しなかった。
2010年は一時は台湾プロ野球の興農ブルズと契約したが、一転して独立リーグであるフロンティアリーグのロックフォード・リバーホークスに入団。
その後、メキシカンリーグのベラクルス・イーグルスに移籍。
2011年も引き続きプレーした。
2012年1月下旬、NPBの中日ドラゴンズの入団テストを受けるため来日。
前年まで中日の一軍ヘッドコーチだった森繁和は自らが主導してドミニカ共和国出身の選手を多く獲得した実績があり、ディアスは森が退団する前にリストアップしていた選手だった。
1月29日から2日間、さらに春季キャンプでもテストを行った結果、2月12日に合格となり翌日契約を結んだ。
長打力を買われての入団であったが、外国人枠の関係もあり2012年はわずか21試合の出場にとどまり、本塁打は0と完全に期待外れの成績に終わった。
しかし、この年在籍した中日の外国人選手が育成選手に転じた宋相勲を除いて全員退団したチーム事情や、潜在能力を買っていた監督の高木守道の要望により、翌年も残留することになった。
2013年はオープン戦初戦で本塁打を打ったが、その後はこれと言った結果を残せず3月中旬に二軍落ちし、開幕直後の3月30日に戦力外通告を受け退団した。
2014年は、レイノサ・ブロンコスでプレーした。

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