川島慶三, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=460872 / CC BY SA 3.0

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川島慶三

川島 慶三(かわしま けいぞう、1983年10月5日 – )は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。

1983年10月5日に長崎県佐世保市で生まれる。佐世保市立戸尾小学校では1年生の時にソフトボールを始め、佐世保市立旭中学校1年生の時に軟式野球を始め、1番・三塁手として活躍した。

佐世保実業高校では遊撃手、二塁手として活躍し、4季連続九州大会に出場した。高校3年の夏の県大会ではベスト8に入ったが甲子園出場は叶わなかった。

九州国際大学法学部法律学科に進学した。九州六大学リーグでは、二塁手として早くから頭角を現し、2年秋と3年春に2期連続で首位打者となった。

、4年秋には本塁打王も獲得し、MVPに選出された。大学通算打率.408と同リーグでは圧倒的な打力を誇り、九州No.1の野手と評価されていた。

2005年の11月18日に行われたドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で北海道日本ハムファイターズから3巡目指名を受けて入団。

は、指名時点で球団は外野手として期待していたが、川島が二塁手を続ける事を希望した。春季キャンプは一軍で開始した。2月26日にオープン戦初打席で場外サヨナラスリーランホームランを放つ など勝負強い打撃と堅実な守備を見せ、開幕一軍の座を掴んだ。4月2日の対オリックス・バファローズ戦で7回に代打としてプロ初出場し、山本省吾相手に中飛で倒れ、そのまま左翼手として守備についた。4月3日に一旦抹消され、4月14日に再昇格すると、4月15日に敵地・福岡 Yahoo! JAPANドームで行われた対福岡ソフトバンクホークス戦で9回から代打として出場し、延長12回同点一死一三塁の場面で、馬原孝浩にショートゴロを打たされたが、チームが禁止していたヘッドスライディングを敢行してセーフとなる間に三塁走者小笠原道大が生還し、同試合の決勝点を挙げ、これがプロ初打点となった。また直後に馬原-山崎勝己バッテリーからプロ入り初盗塁も記録した。4月16日の同カードで1番二塁手として初の先発出場を果たし、7回に杉内俊哉からレフト前ヒットでプロ初安打を放ち、フェルナンド・セギノールの二塁打で生還しプロ初得点も記録した。4月22日の千葉ロッテマリーンズ戦で本拠地・札幌ドームで初出場した。調子は続かず打率.130となった所で5月12日に二軍へ降格。7月20日に東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲームに6番・右翼手で先発起用され、4打数無安打だったが、2回にショートゴロでチーム初打点を挙げた。8月3日に再昇格すると、8月6日の対埼玉西武ライオンズ戦で4回に代打で起用され西口文也から二塁打を放ち代打での初安打を記録し、7回にも再び西口から二塁打を打ち初のマルチヒットを達成した。8月20日に二軍へ降格し、9月16日に再昇格すると、同日の対千葉ロッテ戦では9回に代打で出場し、ジャスティン・ミラーから二塁打を打ち本拠地初安打を記録した。リーグ戦1位通過を決めた9月27日のシーズン最終戦には代走でのみ出場した。1年目の先発出場は9試合、打率182でシーズンを終えた。守備面では失策はなかったが内野手失格となり、5月以降は外野手や指名打者で起用された。二軍ではリーグ6位タイの9本塁打(207打数)を記録した。

プレーオフは2試合ともベンチ入りしたが出場機会がなかった。10月16日に抹消され日本シリーズにはベンチ入りできなかった。アジアシリーズでは11月10日予選リーグ第2戦の対La Newベアーズ戦に8番・左翼手で先発出場したがケニー・レイボーンに2三振を喫し、代打を送られ途中交代した。

シーズンオフの12月11日に一般女性と入籍。

は、前年の契約更改の席で外野に専念したい意向を球団に伝え、同年から外野手登録となった。春季キャンプで右肩を痛め、開幕は二軍で迎えた。6月14日に一軍昇格、7月9日に二軍へ降格、9月11日に再昇格、9月17日に降格、9月30日に再昇格と昇降を繰り返したが、工藤隆人の台頭などにより10試合の出場(先発起用4試合)に終わった。

クライマックスシリーズ第2ステージは第2戦、第4戦の2試合に出場し…

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