フェリペ・アルー, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=197792 / CC BY SA 3.0
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#アトランタ・ブレーブスの選手
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フェリペ・ロハス・アルー(Felipe Rojas Alou, 1935年5月12日 – )はドミニカ共和国サン・クリストバル州出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)、監督。
右投右打。
MLB史上初となるドミニカ共和国出身の監督である。
弟に元メジャーリーガーのヘスス・アルーとマティ・アルー(元太平洋クラブライオンズ)がいる。
息子は元メジャーリーガーのモイゼス・アルー。
大甥には阪神タイガースに所属しているメル・ロハス・ジュニアがいる。
また、2020年にニューヨーク・メッツの監督となったルイス・ロハスも息子であり、モイゼスとルイスは異母兄弟である。
ドミニカ共和国で野球一家に生まれる。
元陸上選手で、医師を目指していたが、家族の貧困のため学業を断念した。
1955年にサンフランシスコ・ジャイアンツと200ドルで契約する。
1958年にメジャー昇格した。
1962年にオールスターに出場する。
1959年には、兄弟3人で同チームの外野を守るという快挙を達成した。
1964年のシーズン前にミルウォーキー・ブレーブスへ移籍した。
1966年には自己最高の打率3割2分7厘、31本塁打、666打席、122得点、218安打、355塁打を達成する。
1966年と1967年にもオールスター出場を果たし、1974年には、現役引退を表明した。
現役末期にはモントリオール・エクスポズにて打撃コーチとマイナーチームの監督を務める。
1985年にジャイアンツから監督就任の要請を受けるが、モントリオールに残る。
1992年途中にエクスポズの監督に就任した。
ここでは、ラリー・ウォーカー、ジョン・ウェッテランド、デライノ・デシールズ、ペドロ・マルティネス、そして息子でもあるモイゼス・アルーなどの若い才能の育成に大きな役割を果たす。
1994年には、最優秀監督賞を受賞した。
しかし、同年のストライキのためワールドシリーズ進出はならず、チームが経費削減のため彼が育成した若手を放出し、エクスポズの弱体化が進む。
1998年にロサンゼルス・ドジャースから監督就任の要請を受けるが、再び固辞した。
2001年のシーズン中にエクスポズから解雇された。
2002年に1年契約でデトロイト・タイガースのベンチコーチに就任する。
2003年からジャイアンツの監督として復帰し、プレーオフ進出を果たす。
同年のプレーオフではフロリダ・マーリンズに敗退。
2015年2月4日にマット・ステアーズ、コーリー・コスキー、カルロス・デルガド、ボブ・エリオットと共にカナダ野球殿堂に入った。
年度別成績・詳細はこちら(英文)参照
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