ウェイン・ギャレット, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1150238 / CC BY SA 3.0

#アメリカ合衆国の野球選手
#ニューヨーク・メッツの選手
#モントリオール・エクスポズの選手
#セントルイス・カージナルスの選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#フロリダ州ヘルナンド郡出身の人物
#1947年生
#存命人物
ロナルド・ウェイン・ギャレット(Ronald Wayne Garrett , 1947年12月3日 – )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手(内野手)。
広島東洋カープでプレーしたエイドリアン・ギャレットは実兄。
1965年のMLBドラフト6巡目(全体の104番目)でミルウォーキー・ブレーブスに指名され契約。
1969年にニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。
同年は打撃は低調ながら124試合に出場し、チームのワールドシリーズ制覇(ミラクル・メッツ)に貢献。
1973年には140試合に出場し、自己最多の16本塁打、58打点を記録。
ワールドシリーズ第3戦では初回先頭打者本塁打を放つが、ワールドシリーズ史上最多(ワースト)タイ記録の11三振を喫する。
チームは3年連続ワールドシリーズ制覇を達成したオークランド・アスレチックスに敗れ、最終第7戦では最後の打者となってしまった。
1974年には自己最多の151試合に出場。
同年、メッツ単独チームで日米野球で来日。
1976年シーズン途中にモントリオール・エクスポズに移籍。
以後は控えとなり、1978年シーズン途中にセントルイス・カージナルスに移籍。
1979年に中日ドラゴンズに入団し、来日。
同年は115試合に出場し、打率.252も20本塁打、71打点を記録。
なお、同年5月24日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)で、本塁打を打ちながら一塁走者を追い越してしまい、本塁打が取り消されてアウトになった。
翌1980年には打撃不振で77試合の出場に終わり、シーズン途中で解雇され、現役を引退して帰国した。
野球一家で、兄のエイドリアンもMLBとNPBでプレーし、弟のチャーリーもアトランタ・ブレーブスのマイナーでプレーした。
また、甥(エイドリアンの息子)のジェイソンもフロリダ・マーリンズに指名され、4年間マイナーでプレーした。

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