トマス・デラロサ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1327133 / CC BY SA 3.0

#ドミニカ共和国の野球選手
#モントリオール・エクスポズの選手
#サンフランシスコ・ジャイアンツの選手
#中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手
#ドミニカ共和国の野球指導者
#1977年生
#存命人物
トマス・アグラモンテ・デ・ラ・ロサ(Tomás Agramonte de la Rosa, 1977年1月28日 – )は、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(内野手)。
2010年から中日ドラゴンズの育成スタッフを務めていた。
1996年にモントリオール・エクスポズと契約。
2000年6月17日にメジャーデビュー。
2002年から2005年までは、エクスポズ、パイレーツ、ロッキーズ各球団の傘下マイナーリーグでプレーしたが、メジャーでの出場はなかった。
2006年にサンフランシスコ・ジャイアンツでメジャー再昇格。
メジャー通算49試合で打率.289、2本塁打、10打点。
2008年2月2日、NPB中日ドラゴンズの入団テストを受け、合格。
球団から正式に入団が発表された。
北京オリンピック予選に選ばれ、本選にも出場することが予想されていた井端弘和と荒木雅博の代役として期待された(実際には荒木のみが選出された)。
主に代打や守備固め要員として活躍。
ただし本来の荒木の代役としては、二塁手での数試合の先発を経て首脳陣から失格とされたのか、岩﨑達郎など若手に出場機会を譲っている。
しかし北京オリンピックから荒木が復帰した直後に井端が負傷したため、代役として遊撃手のポジションを務めていた。
2008年5月10日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)の8回に山口鉄也から日本での初本塁打を放つ。
同年オフにはヘッドコーチの森繁和と共に主にドミニカ方面へのスカウト活動もした。
12月16日に正式に残留が決定。
育成コーチ兼任となった2009年は、外国人枠の関係もあって開幕を二軍で迎えた。
同じドミニカ出身で同年に中日入りしたトニ・ブランコにアドバイスを施すことも多かった。
特にブランコが入団直後に「日本なら本塁打を30本以上打てるだろう」と豪語した際にはそれを戒め、「日本で成功したいなら謙虚な態度で臨め」とアドバイスしたという。
交流戦では指名打者でのスタメン出場が多かった。
同年オフの11月、球団から選手としての契約更新をしない方針である旨を通告され、現役引退。
同年12月24日に球団スタッフ(肩書は「育成スタッフ」)に就任。
主にドミニカ出身選手に対する指導・アドバイスを担当していた。
2011年に中日を退団。
メインは遊撃であるが、三塁、二塁も守ることができる。
実際にその3ポジションでスタメン出場している。
愛称は「パパ」で、監督の落合博満が命名。

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