西野勇士, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1661910 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#富山県立新湊高等学校出身の人物
#千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手
#NPBオールスターゲーム選出選手
#富山県出身の人物
#1991年生
#存命人物
西野 勇士(にしの ゆうじ、1991年3月6日 – )は、富山県高岡市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
千葉ロッテマリーンズ所属。
兄の影響で5歳から野球を始める。
中学時代までは外野手兼三塁手としてプレーした。
高岡ボーイズでは、当時2年間コーチをしていた橋本清からも教えを受けていた。
中学時代は学業成績も良かったため、進学校である高岡高校への進学を勧められたが、野球強豪校の新湊高校に進学。
自転車で1時間かけて通学した。
1年時の夏に投手に転向する。
エースとして挑んだ3年時の夏は富山県予選決勝でライバル・高岡商業高校に2-3で惜敗し準優勝に終わった。
高校卒業後の進路に東洋大学への進学の話があり、当時の監督からも勧められたが、本人はプロを目指していたため進学などは一切考えておらず、プロ志望届を提出した。
2008年10月30日、プロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成選手ドラフト5巡目指名を受け、育成選手となった。
2009年シーズンから2012年シーズンまでは育成選手として過ごしたが、マウンド度胸を高く評価され、2012年11月10日に支配下選手登録された。
背番号は67。
2013年10月12日 2013年3月30日のオリックス・バファローズ戦(QVCマリンフィールド)でプロ初登板。
2回2/3を投げ、6安打1失点だった。
4月7日にはプロ初先発したが試合が降雨ノーゲームとなり、記録には残らなかった。
翌4月8日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)にスライド登板したために、「プロ初先発」を2日連続で経験。
7回無失点でプロ入り初勝利を挙げた。
前半戦で8勝を挙げるが、8月には右肩痛を発症させるなど後半は1勝だけで、この年は9勝6敗に終わった。
埼玉西武ライオンズとのクライマックスシリーズファーストステージの第1戦(西武ドーム)で、4点リードで迎えた5回1死満塁の場面で2番手として登板し、1回2/3を無安打無失点に抑えて勝利投手となった。
育成ドラフト出身の選手がプレーオフ、CSで勝利投手となるのは史上初(育成出身ではウィルフィン・オビスポが最初)。
最終的にチームはファイナルステージで敗れて敗退したが、西野にとっては飛躍を遂げた1年となった。
オフには小野晋吾の引退により空き番号となっていた、村田兆治の背番号29になることが発表された。
2014年はシーズン開幕直前に前年最多セーブに輝いた益田直也の負傷離脱により、開幕からクローザーを任され、4月5日の北海道日本ハムファイターズ戦(QVCマリン)でプロ初セーブ、4月18日の福岡ソフトバンクホークス戦(QVCマリン)ではプロ初ホールドを挙げる。
開幕から5月3日の西武戦(QVCマリン)まで14試合連続無失点を達成するなど、好調だったため益田が復帰後も西野は抑えのままでそのまま活躍し、リーグ3位の31セーブを記録した、育成枠出身の選手では初のシーズン30セーブだった。
オフの10月9日に日米野球2014の日本代表に選出された事が発表された。
第3戦では9回に登板し1イニングを無安打無失点の投球を見せ、則本昂大、西勇輝、牧田和久と共に日米野球史上初の継投ノーヒットノーランを達成している。
2015年は開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表された。
3月10日の第1戦に5番手として登板し、セーブを記録している。
7月16日には第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。
9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された。
シーズンでは終盤に打球の直撃による骨折で離脱したものの、54試合に登板して自己最多の34セーブを挙げ、2年連続30セーブを達成した。
打たれた本塁打も1本のみ、セーブがつく機会での失敗は0と安定した成績を残し、チーム2年ぶりのクライマックスシリーズ進出に貢献した。
2016年は開幕前の2月15日に「侍ジャパン強化試合 日本 vs チャイニーズタイペイ」の日本代表26名に選出されたことが発表された。
シーズンでは、8試合目の登板となった4月17日の北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)、4月2…
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