野上亮磨, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1606596 / CC BY SA 3.0

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野上亮磨

野上 亮磨(のがみ りょうま、1987年6月15日 – )は、読売ジャイアンツに所属する福岡県太宰府市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。妻はタレントの石川梨華。

太宰府市立太宰府西中学校時代はフレッシュリーグの筑紫エンデバーズに所属し、高校は当時の硬式野球部の監督から誘いを受けた神村学園高等部へ進学。同校3年次の、第77回選抜大会に出場して準優勝投手となる。一躍プロのスカウトも注目する存在となり、プロ志望届を提出したが指名はなく、日産自動車に入社。

社会人時代は入社2年目のから試合で起用され始め、当時エースだった石畝(いしぐろ)卓也とチームの2枚看板となり、同年は新日本石油ENEOSの補強選手として都市対抗野球へ初出場を果たした。翌はエースピッチャーとして活躍、チームを2年ぶりに第79回都市対抗野球へと導いた。

2008年10月30日に行われたドラフト会議で埼玉西武ライオンズから2巡目指名を受け、12月6日に契約金8000万円、年俸1300万円の仮契約を結んだ。背番号は「20」。

は即戦力として先発、中継ぎに起用され、25試合に登板。オフの契約更改では200万円増の1500万円で一発サインしたが、「もうちょっと上がるかと思った」と話した。

は前年に引き続き、先発、中継ぎと起用され、登板試合数は増えたが、防御率は5.14と結果を残せなかった。

には、一軍公式戦への登板が4試合にまで減少。イースタン・リーグ公式戦では、主に先発投手として起用されると、最多勝のタイトルを獲得した。契約更改では300万円減の1300万円でサイン。

はキャンプから好調を維持し、開幕一軍スタート。ローテーションの谷間での先発やロングリリーフなどで登板していた。夏場以降はローテーションの一角として登板を続け、6連勝を含む、キャリアハイかつ昨年までの自己通算を上回る8勝を挙げた。契約更改では1500万円増の2800万円でサイン。

は開幕一軍スタートを切ると開幕ローテーションの一角として期待されて順調に勝ち星を伸ばしていたが、夏頃のチームの不調と共に自身も調子を崩し、Aクラス入りとクライマックスシリーズの出場がかかったチーム事情から終盤では中継ぎに回った。9月26日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦ではアンドリュー・ジョーンズに逆転タイムリーを打たれて負け投手となったが、それ以降は中継ぎとしてフル回転で10月1日には自身初となる10勝目を挙げた。最終的に岸孝之と並ぶチーム最多の11勝を挙げた。契約更改では2000万円増の4800万円でサイン。

も開幕ローテ入りを果たしたが、交流戦から打ちこまれる場面が目立つようになり、防御率は5点台後半まで悪化し6月に登録を抹消された。一軍復帰後は中継ぎとして起用されたが、程なくして先発に戻ると8月22日の北海道日本ハムファイターズ戦で初完投を記録する(先発として73試合目での達成は史上最長)など終盤は調子を取り戻した。契約更改では300万円減の4500万円でサイン。

も開幕ローテーション入りしたが、4月4日の福岡ソフトバンクホークス戦で打球が足に直撃し、4月6日に登録を抹消。4月16日に一軍に復帰し、3連勝を記録した。チームトップの4勝を挙げていたが、5月10日に背中の張りを訴え、再び登録を抹消。5月20日に再び1軍登録された。しかし、7月1日のソフトバンク戦に勝利して以降、8試合白星を挙げられず(4敗)、9月からリリーフへ配置転換された。シーズン終盤の9月下旬から先発に復帰したものの勝ち星は挙げられず、後半戦は0勝4敗に終わった。この年は27試合の登板で7勝7敗、防御率4.22に終わった。契約更改では1300万円増の5800万でサイン。減額を予想していた野上は「ビックリしている。4年間の実績を評価してもらった」と話した。

も開幕から先発ローテーションに加わったが、4月20日の日本ハム戦から勝ち星を挙げられず、6月18日の東京ヤクルトスワローズ戦からリリーフへ配置転換された。6月23日に先発の菊池雄星が登録を抹消されたため、6月25日の千葉ロッテマリーンズ戦から先発に復帰。先発として5試合に登板したが、0勝3敗と結果を残せず、8月から再びリリーフとなった。8月13日のオリックス・バファローズ戦で2回2失点と抑えられず、8月14日に登録を抹消された。9月20…

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