大山悠輔, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3528442 / CC BY SA 3.0
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#つくば秀英高等学校出身の人物
#日米大学野球選手権大会日本代表選手
#白鷗大学硬式野球部の選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#茨城県出身の人物
#1994年生
#存命人物
大山 悠輔(おおやま ゆうすけ、1994年12月19日 – )は、茨城県下妻市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。
右投右打。
阪神タイガース所属。
2021年シーズンより阪神のチームキャプテンを務める。
下妻市立宗道小学校1年時に軟式野球チーム「宗道ニューモンキーズ」に入団、投手兼内野手として野球を始め、下妻市立千代川中学校では軟式野球部に所属。
つくば秀英高等学校への進学後は、1年時から投手兼遊撃手をつとめ、通算27本塁打を放った。
2学年上に塚原頌平、同学年に中塚駿太がいたが、在学中には春夏とも甲子園球場での全国大会に出場できなかった。
高校卒業後は、中塚と共に白鷗大学へ進学。
関甲新学生野球のリーグ戦には、大学1年時の春から三塁手として出場すると、1年時の春季と2年時の秋季にベストナインへ選ばれた。
4年時の春季リーグ戦では、打率.417、リーグ新記録の8本塁打、タイ記録の20打点を達成。
本塁打王と打点王を獲得するとともに、三塁手として3度目のベストナイン選出を経験した。
リーグ戦では通算98試合に出場。
119安打、16本塁打、93打点を記録した。
大学4年時の夏には第40回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出。
全5試合に「4番・三塁手」としてスタメンで出場したものの、結果は15打数2安打1打点にとどまった。
3学年下に大下誠一郎がいる。
2016年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから1巡目で単独指名。
年俸1500万円、契約金1億円に出来高分5000万円(金額は推定)を加えた最高条件で入団した。
背番号は3で、担当スカウトは平塚克洋。
このドラフト会議では、中塚も埼玉西武ライオンズからの2巡目指名を経て入団している。
なお、ドラフト会議での指名直後には白鷗大学の4番打者として関東地区大学野球選手権へ出場。
1回戦では、初回に逆転2ラン本塁打を放った。
2回戦では、延長10回のタイブレークから一死満塁で迎えた打席で三振に倒れ、チームは明治神宮野球大会への出場を逃した。
2017年、オープン戦の途中まで一軍に帯同。
9試合の出場で打率.333という成績を残した。
しかし、一軍監督(当時)の金本知憲の意向や、チームの育成方針などとの兼ね合いから公式戦を二軍で迎えた。
6月23日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)5回表に代打で一軍公式戦にデビュー。
「5番・一塁手」でスタメン出場した7月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦(阪神甲子園球場)では、原樹理からの決勝本塁打で公式戦初安打・初打点を記録。
阪神の新人選手が一軍公式戦初安打を本塁打で記録した事例は、1987年の八木裕以来30年振り7人目だった。
7月下旬以降の試合では、クリーンアップに起用される一方で、左翼の守備も随時経験。
9月1日の対中日ドラゴンズ戦(甲子園)では、一軍公式戦で球団史上101人目の4番打者に抜擢された、さらに、9月2日の同カードでも4番打者に起用されると、シーズン6号本塁打を放った。
阪神の新人選手が一軍公式戦で4番打者としてスタメン起用されたのは1964年の富恵一以来53年振りで、本塁打を放った事例は、球団創設2年目の1937年以降では初めてあった。
以降の試合でも、4番打者としてスタメンに定着。
レギュラーシーズンの最終戦だった10月10日の対中日戦(甲子園)では、プロ入り後初めて二塁手として出場すると、シーズン7号ソロ本塁打を放つなどの活躍で4打点を挙げた。
チームのシーズン2位で迎えた3位DeNAとのクライマックスシリーズファーストステージでは、「5番・一塁手」として全3試合にスタメンで出場。
10月15日の第2戦では、本塁打を含む4打席連続安打を記録した。
CSに出場した新人選手としては初めての記録で、阪神の新人選手によるCSでの本塁打も初めてだったが、三塁打を放てなかったためCS史上初のサイクルヒット達成までには至らなかった。
なお、チームはファーストステージで敗退したものの、大山は全試合で安打を記録。
ステージ通算で13打数7安打4打点という好成績を残した。
同年は一軍公式戦の出場が75試合にとどまったにもかかわらず、セントラル・リーグ新人王選考の記者投票で京田陽太の208票に次ぐ49票を獲得。
新人特別賞を受賞した濵口遥…
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