岡崎郁選手は、大分商高3年春選抜エースで出場も2回戦東洋大姫路戦で6-12と打ちこまれ夏はショートで活躍。2年生エース松本健の好投もあって準々決勝に進出するが、横浜商の宮城弘明に抑えられ敗退。

ドラフト3位で巨人入団。4年間は2軍暮らし。勝負の5年目肋膜炎を患って療養生活。任意引退で練習生扱いに。翌年3.8日本ハムとのオープン戦でサヨナラホームランを打ち見事復活。

ショートのポジションをベテラン河野和正選手・石渡茂選手と争い96試合 .268 4本塁打の成績を残す。その後は鴻野淳基との熾烈な定位置争い。

10年目原辰徳選手レフトコンバート。オープン戦首位打者で打力を生かし開幕ファーストでスタメン。中畑清選手サードも故障でサードに回り規定打席到達しキャリアハイの12本塁打。その後3年間サードのレギュラーとして活躍。

14年目原選手サード復帰で出番が減り、その後は若手仁志敏久選手元木大介選手の台頭で出番が激減し35歳で引退。

通算成績
1156試合 906安打 63本塁打 384打点 打率.260

27 Comments

  1. 岡崎郁 選手は、 ホームラン を量産したり高打率をマークする選手ではなかったがサードで活躍していた頃の勝負強いバッティングが印象に残っている選手だ。動画を見て選手やチームの感想や思い出などのコメントいただけるとうれしいです^^ただ、建設的な討論コメントはいいんですが、自分の主義主張を無理やり押し付けたりとか人を不快にさせるようなコメントはお断りしています。

  2. 現役時代寡黙なイメージあったからジャンクSPORTSやら他のYouTubeでざっくばらんにお喋りが上手な方でいい意味でイメージが変わりました

  3. 二軍の須藤監督のお気に入りで槇原投手と岡崎選手はあと1年二軍で鍛えていればもっと凄い選手になっていたと言われてましたね一軍の事情で昇格せざる得なかったと

  4. 意外と若くして引退した事に驚きました。通算成績よりも記憶に残る印象深い選手でした。

  5. 最後にバットのヘッドが天を指す独特のフォロースルーが印象的でした。

  6. アマチュア時代ピッチャーやってたんですか!!
    どうしてもジャイアンツ時代のサードのイメージが大きいですね。

  7. 確か日本シリーズで放った本塁打3本は全て左投手からだったよな?

  8. 任意引退→練習生というのは、今で言う支配下戦力外→育成選手契約のような扱いですね。

  9. 藤田監督時代の6番・岡崎&7番・駒田はチーム編成を無視した長嶋時代の“4番だらけ打線”よりずっと脅威でした。
    “野球観が変わった”はある意味名言だったかと。
    巨人フロントを経て、他球団OBとコラボするYouTubeが面白いです。

  10. サヨナラ打の前の試合でライバル?の鴻野が活躍しました。

  11. 4番で出てきた時は他にいないのか?巨人も堕ちたなぁって思ったよ。消去法的な起用だったから。

  12. 岡崎さんのような、めちゃくちゃ打つわけでもない選手でもコンスタントに出て、そこそこやってくれる選手って野球において大事ですよね

  13. 西武の源田、広島の森下、ソフトバンクの川瀬、笠谷、オリックスの川瀬、等、大分商業OBの大先輩で大分のヒーローです。これからもご活躍ください。

  14. 岡崎氏の生涯成績を見ると、意外にも1000本安打にはいっていないんですね。しかし、篠塚選手に似た、器用なイメージがあった記憶に残る選手でありました。

  15. ブレイク以前は病魔に見舞われて一度は戦力外通告の危機に直面しながらも見事それを乗り越えてショートの正位置を掴み取ったのは苦難の中での不屈の精神と努力の賜物であるからに他なりません。

  16. 86年に優勝できなかったのは、岡崎遊撃手が怪我で戦線離脱さしたのが大きかったと今でも思っています。85年の8月.名古屋球場で牛島投手から豪快なホームラン打ちました。その試合、現地で見ていました。大好きな選手の1人でした😊

  17. 現役時代はガツガツと「俺が俺が!!」という選手でなかった‥。引退後にドーム近くで焼肉屋をしてた記憶あるが、それも当時はイメージ無いよな~!?とか思ってたが、いつの間にか無くなってた

  18. 懐かしいですね!
    数字以上に活躍していたイメージです!
    今の吉川に引き継がれてる気がします

  19. 低めのボールを打ってよくピッチャーの足元を抜いていく打球が多かったのとその時のバッティングフォームがすごくキレイで中学の頃参考にさせていただきました。

Write A Comment