ホエールズ・ベイスターズの全歴史を当事者たちの言葉で振り返る【WHALE GENES(ホエール・ジーンズ)】。
2人目のゲストは名監督・三原脩にその目利きの才能を見出されたスカウト・高松延次氏。

1959年、大洋ホエールズ入団。背番号33の捕手・高松延次が語る「プロ入り一年目」の実像とは?
チームは6年連続最下位、ボロボロの宿舎、同期入団にはルーキーでホームラン王を獲る怪物桑田武――。
森茂雄監督のもと、世代交代が進む中で芽生えた挫折と成長。昭和野球の息遣いが、今よみがえる!

「もう帰りたい…」
高校卒でプロ入りした18歳の高松延次が経験した最初で最後の2打席。
正捕手・土井淳との実力差に打ちひしがれつつも、のちにスカウトとして大成する高松の原点にナビゲーター・村瀬秀信が迫る!

3 Comments

  1. 果たして次回三原マジックに切り込めるのか…。
    三原マジックは三原監督の魔術師的な采配と言われますが実際はサイン盗みを多用した高度かつ卑劣な野球。
    6年連続最下位の大洋ホエールズが采配だけでいきなり優勝できるわけがないわけで。
    当時セリーグでサイン盗みをする球団はなかったので大洋のサイン盗み野球は最強でした。
    ただ三原監督の名誉のために言うと当時サイン盗みは禁止ではなく合法でしたのでルール上は問題ありません。

  2. NPB公式戦初本塁打を記録され、通算146本塁打、1955年に大洋ホエールズ最初の川崎本拠地移転時の監督だった藤井勇さんが決め手でしたか?
    ありがとうございます。

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