谷内亮太, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2728143 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#國學院大學硬式野球部の選手
#東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手
#北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手
#石川県出身の人物
#1991年生
#存命人物
谷内 亮太(やち りょうた、1991年2月3日 – )は、石川県金沢市出身のプロ野球選手(内野手)。
右投右打。
北海道日本ハムファイターズに所属。
金沢西高時代は、遊撃手兼控え投手として活躍。
2年時までプロどころか大学野球でプレーすることすら考えていなかったが、主将となり挑んだ3年時春の石川大会で初優勝を達成したことが自信に繋がったと語っている。
夏は、全国高等学校野球選手権石川大会準決勝で金沢高に1-3で敗れた。
甲子園出場経験はなし。
2010年11月14日、明治神宮野球場にて 國學院大學に進学すると東都大学野球連盟に所属する野球部に入部。
1年時の秋から三塁手のレギュラーとなり、2年時の秋には同校野球部創部80年目での初優勝を経験した。
第41回明治神宮野球大会では、同年のドラフト会議で指名を受けていた九州産業大学の榎下陽大から3安打を放つ。
これが自信となり、プロ入りを目指すきっかけとなったと語っている。
その後、自らの希望で遊撃手へとコンバートされた。
3年時の春は、前季の優勝から一転しチームが最下位に低迷。
さらに入替戦を落とし、2部降格となってしまった。
4年時からは主将となり、春は2部で優勝し自身はMVPに選出された。
さらに入替戦を制し、3季ぶりに1部に昇格。
秋は1部で遊撃手としてベストナインに選出された。
1部リーグ通算71試合246打数69安打19打点2本塁打、打率.280。
2012年10月25日、プロ野球ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから6位指名を受けた。
2015年6月25日に、「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」の出場予定選手の変更が発表されNPB選抜に代表入りした。
レギュラーシーズンでの出場は4試合に留まった。
2016年は4月10日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜)で山﨑康晃から3点本塁打を放つなど開幕から打撃好調だったが、4月19日の対阪神タイガース戦(甲子園)で藤浪晋太郎から左手首付近に死球を受けて骨折し、手術を受けた。
8月7日に一軍登録される。
2018年12月11日に秋吉亮と共に高梨裕稔と太田賢吾の交換トレードで北海道日本ハムファイターズに移籍することが発表され、12月13日に公示された。
2020年は、守備固めを中心に50試合に出場。
打席数は少ないながらも3割を越える打率をマークした。
シーズン終了後の12月2日、腰椎椎間板ヘルニアとの診断で手術を受けた事が発表された。
50m走6秒3の足と、堅実な守備に定評がある。
真面目な性格で、高校時代の監督やスカウト陣からは、練習も手を抜かない努力家と評されている。
憧れであり、目標とする選手は宮本慎也。
対戦したい選手には、同じ石川県出身で大学の1学年先輩である高木京介を挙げている。
高校時代にも1度対戦したが、ノーヒットに終わっている。
中学、高校、大学とキャプテンを務めており、特に大学でキャプテンを務めたことで周りを見てプレー出来るようになったと語っている。
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