古川侑利, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2893178 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#佐賀県立有田工業高等学校出身の人物
#佐賀県出身の人物
#1995年生
#存命人物
古川 侑利(ふるかわ ゆうり、1995年9月8日 – )は、佐賀県武雄市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
読売ジャイアンツ所属。
高校野球の経験者である父親の影響で、武雄市立武内小学校の3年時に投手として野球を始め、武雄市立武雄北中学校への在学中には、投手や三塁手として佐賀県の中学野球大会へ出場した。
佐賀県立有田工業高等学校への進学後は、1年夏からのベンチ入りを経て、2年秋からエースの座を確保。
3年時の5月から6月にかけて開催された第60回NHK杯佐賀県高等学校野球大会では、決勝戦で敗れながらも、通算投球イニング40回2/3で40奪三振を記録した。
夏の全国高等学校野球選手権佐賀大会では、決勝までの5試合(投球回数47イニング)通算で47三振を奪い、いずれの試合でも1点差の完投勝利を記録。
学校創立114年目にして、チームを春夏通じて阪神甲子園球場での全国大会初出場へ導いた。
本大会では、大垣日本大学高等学校との1回戦で、当時の自己最速記録であった148km/hを記録。
5回までに3点を失いながらも、チームは逆転勝利を果たした。
常葉学園菊川高等学校との2回戦では、桒原樹から公式戦では初めての被本塁打を喫するなど、4回までに5点を失った末にチームも敗戦。
この年の夏の選手権大会では、佐賀県大会2回戦からの7試合で、通算935球を投げた。
その一方で、4番打者も務めていたことから、NPB球団の一部からは打者として評価されていた。
東北楽天ゴールデンイーグルスなどのNPB8球団から調査書が届いたことを受けて、3年夏の選手権大会後の2013年9月に、プロ志望届を日本学生野球協会へ提出し、10月24日に開催されたNPBドラフト会議では楽天から4巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
有田工業高校出身者からのNPB入りは初めてで、背番号は60。
2014年8月3日、水林グリーンスタジアムにて 2014年、シーズンの大半を二軍で過ごしたが、8月22日のイースタン・リーグ公式戦では、千葉ロッテマリーンズを相手に被安打6の完封勝利を記録。
9月14日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)7回裏に、救援投手として一軍公式戦デビューを果たした。
一軍監督の星野仙一が若手選手を積極的に起用する方針を打ち出したことによる抜擢で、この年のチームの新人選手では6人目、高卒の新人選手では3人目のデビューであった。
一軍公式戦には通算で2試合に登板した。
オフに、現状維持の推定年俸600万円で契約を更改した。
2015年、春季キャンプ中に右肘、公式戦期間中の夏前に右肩を痛めて戦線を離脱した影響で、一軍公式戦での登板機会がなかった。
イースタン・リーグ公式戦でも10試合の登板で、0勝2敗、防御率7.40にとどまったが、シーズン終了後に参加したフェニックス・リーグでは、チームトップの4試合に先発した。
オフに、現状維持の推定年俸600万円で契約を更改した 2016年、イースタン・リーグの公式戦では、チームトップタイの6勝、防御率2.60という好成績をマーク。
一軍でも、4月10日に2年ぶりの昇格を果たし、公式戦6試合に登板したが、防御率が7.71に達するなどイースタン・リーグほどの成績を残せなかった。
オフに、50万円増の推定年俸650万円で契約を更改した。
2017年、岸孝之や安樂智大など先発陣が開幕直前に相次いで戦線を離脱したことから、4月2日にオリックス・バファローズとの開幕カード第3戦(京セラドーム大阪)で一軍公式戦初先発を果たした。
10月5日の対ロッテ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、一軍公式戦初の無四球完投を記録しながら、2-2の同点で迎えた9回裏2死2・3塁から井上晴哉の内野安打でサヨナラ負けを喫するなど、好投しても報われない試合が多く、5試合の登板で0勝2敗、防御率は4.15を記録。
イースタン・リーグの公式戦では、17試合の登板で8勝4敗、防御率2.81を記録。
オフに、100万円増の推定年俸750万円で契約を更改。
12月24日に婚姻届を提出した。
2018年、公式戦の開幕を二軍で迎えたが、イースタン・リーグ公式戦では、5月下旬までに7試合へ登板し、4勝を挙げるとともにリーグ1位の防御率0.61を記録した。
セ・パ交流戦が開幕した5…
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