公文克彦, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2715947 / CC BY SA 3.0

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#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手
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公文 克彦(くもん かつひこ、1992年(平成4年)3月4日 – )は、北海道日本ハムファイターズに所属する高知県安芸郡芸西村出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
高知高等学校では、2年時の夏に第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。
1回戦の中田廉、上本崇司擁する広陵高等学校戦で5点差をつけられた6回から登板するも、同点に追いついた直後の8回に勝ち越しを許し敗戦投手となり、5-8で初戦敗退に終わった。
2年時の秋からはエースとなり、3年時の夏は決勝で明徳義塾高等学校の石橋良太と投げ合い3-2で勝利し、高知県予選を制し同校3年連続の甲子園出場に貢献する。
第91回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦の如水館高等学校戦で史上初となる2日連続雨天ノーゲームの末に、160球を投げ切り14奪三振をマークし9-3で完投勝利した。
ノーゲームの試合は、いずれも0-2と5-6で如水館高がリードしていた。
2回戦は、庄司隼人擁する常葉橘高等学校に打ち込まれ6回7失点で降板し、チームも6-7で敗退した。
甲子園通算3試合、19回19奪三振、防御率6.16。
野球部の同期には木下拓哉がいる。
高校卒業後は、社会人野球の大阪ガスに入団。
2年目から公式戦に登板し、第82回都市対抗野球大会ではNTT西日本の補強選手になったが登板機会はなかった。
3年目は、第83回都市対抗野球大会にパナソニックの補強選手として出場。
初戦で山中浩史擁するHonda熊本と対戦し、2番手で登板し無失点に抑える好救援を見せ、チームも2-1で勝利した。
しかし、先発したベスト8のJX-ENEOS戦では制球に苦しみ2回途中3失点で降板し、チームも5-9で敗退した。
大会後に発覚したチーム内の不祥事により8月31日から6ヶ月の対外試合禁止が下されたため、第38回社会人野球日本選手権大会などには出場できなかった。
2012年のNPBドラフト会議で、読売ジャイアンツ(巨人)から4巡目で指名。
年俸1,000万円(推定)という条件で入団した。
背番号は57。
この会議では、大阪ガスのチームメイトだった松永昂大も千葉ロッテマリーンズから1巡目で指名。
後に入団している。
巨人時代(2013年7月18日、こまちスタジアムにて) 2013年は開幕を二軍で迎え、イースタン・リーグで主にリリーフとして起用される。
チーム内で2位となる45試合に登板し、0勝5敗・防御率2.68と一定の成績を残すと、すでに巨人の優勝が決まった9月25日に一軍初昇格 。
同日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でプロ初登板し、1イニングを無失点に抑える。
シーズンでは3試合に登板した。
2014年は一軍登板を果たせずにシーズンを終え、2015年は一軍では同じ左腕の高木京介や戸根千明が活躍したため、この年も二軍暮らしに終わった。
10月初旬、2軍監督の岡崎郁に「1軍に左の横投げはいないし、腕を下げたりして違う環境でやってみたらどうか」と提案され、10月のフェニックスリーグからサイドスローに転向した。
2016年は4月23日・DeNA戦の救援登板以来、12試合で救援として登板したものの、左肩を痛め6月2日に登録抹消となった。
2016年シーズン終了後に、吉川光夫・石川慎吾との交換トレードで、大田泰示と共に北海道日本ハムファイターズへ移籍。
背番号は49。
2017年には、6月14日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、延長11回裏に登板。
1回を無失点に抑えた末に、一軍公式戦での初勝利を挙げた。
シーズン全体では、一軍公式戦41試合に登板。
3勝0敗、防御率2.70という成績を残した。
2018年には、レギュラーシーズンの開幕直後に一時二軍へ降格しながらも、セットアッパーとして一軍公式戦でチーム最多の57試合に登板。
2勝0敗11ホールド、防御率2.17という好成績を残したことから、シーズン終了後の契約交渉では、推定年俸4,100万円(前年から2,370万円増)という条件で契約を更改した。
2019年には、8月29日の対埼玉西武ライオンズ戦(帯広の森野球場)7回表に救援で登板。
チームは試合に敗れたものの、自身は1イニングを三者凡退に抑えて交代したため、巨人時代のチームメイトである高木京介が保持していた「(一軍)…

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