竹安大知, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3327169 / CC BY SA 3.0

#日本の野球選手
#二松學舍大学附属高等学校出身の野球選手
#熊本ゴールデンラークス及びその前身チームの選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#静岡県出身の人物
#1994年生
#存命人物
竹安 大知(たけやす だいち、1994年9月27日 – )は、静岡県伊東市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
オリックス・バファローズ所属。
埼玉県蓮田市で出生後に、静岡県伊東市へ転居。
伊東市立富戸小学校の1年時に地元の少年野球チーム・富戸ジュニアで野球を始めると、中学生時代には伊東リトルシニアに所属した。
中学卒業後に二松學舍大学附属高等学校へ進学するが、1年生の夏に中退。
地元にある静岡県立伊東商業高校に転校した。
転校後は、3年生夏の選手権静岡大会で、NPBの複数球団のスカウトが視察するほどにまで成長したが、在学中は春夏ともに甲子園球場で開催の全国大会に出場できなかった。
伊東商高で指導を受けた野球部監督は、増井浩俊の弟である増井裕哉であった。
高校卒業後は、熊本県・福岡県でスーパーマーケットを運営する鮮ど市場へ入社、同社の硬式野球部である社会人野球の熊本ゴールデンラークスへ入部し、本社で経理を担当した。
1年目から公式戦で登板すると、2年目の夏には、Honda熊本の強化選手として都市対抗野球大会に出場した。
「ゴールドジム新市街熊本」の運営と管理を委託された10月からは、同ジムのトレーナーとしてオフシーズンにトレーニングの指導やカウンセリングを任されていた。
しかし、冬に右肘内側側副靱帯を傷め、12月にトミー・ジョン手術を受け、翌年9月の社会人野球日本選手権九州予選で実戦に復帰した。
2015年のNPBドラフト会議で、阪神タイガースから3巡目で指名。
契約金5,000万円、年俸840万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は42で、担当スカウトは田中秀太。
阪神タイガース時代 2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場 2016年には、シーズン終盤の一軍デビューを目標に、前述の手術に伴うリハビリやトレーニングを優先。
春季キャンプも、二軍の「安芸組」で過ごした。
6月17日に、オリックス・バファローズとのウエスタン・リーグ公式戦(舞洲ベースボールスタジアム)6回裏から、1イニングの救援で実戦デビュー。
同リーグの公式戦全体では、6試合の登板で、0勝2敗、防御率10.57を記録した。
しかし、同期入団の新人選手でただ1人一軍昇格の機会がなく、シーズンの終盤には右肩痛を発症した。
2017年には、ウエスタン・リーグ公式戦で3試合に登板した7月に、月間通算で2勝0敗、防御率0.56(投球回数16イニングで自責点1)という好成績を残し、阪神球団が制定するファーム月間最優秀選手賞を受賞した。
以降も好調を維持すると、10月5日の対中日ドラゴンズ戦(阪神甲子園球場)の7回表に一軍公式戦へデビュー。
同点の場面で1イニングを三者凡退を抑えた。
その裏の攻撃でチームが勝ち越したことで、わずか9球で一軍公式戦初勝利を挙げた。
阪神の投手による一軍公式戦初登板初勝利は、青柳晃洋が2016年に先発登板で記録して以来であった。
ウエスタン・リーグ公式戦では主に先発で20試合に登板し、5勝4敗、防御率2.76を記録。
シーズン終了後に台湾で開かれた2017アジアウインターベースボールリーグには、NPBウエスタン選抜の一員として参加した。
2018年には、一軍公式戦2試合に登板。
勝敗は付かず、防御率は2.25だった。
ウエスタン・リーグ公式戦には、14試合の登板で6勝0敗、防御率1.30という成績をマーク。
先発要員として、ファーム8年振りのリーグ優勝に貢献した。
2018年12月20日に、オリックス・バファローズの西勇輝が国内FA権の行使によって阪神へ移籍したことに伴う人的補償措置により、オリックスへ移籍することが発表された。
背番号は西が着用していた21。
2019年には、オープン戦期間中の3月上旬に右肩を痛めたため、レギュラーシーズンを二軍でスタート。
ウエスタン・リーグ公式戦で好投を続け、6月12日の対中日戦(京セラドーム大阪)で、先発投手として移籍後初の一軍公式戦登板を果たした。
同月24日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で、移籍後および、先発登板での一軍公式戦初勝利をマーク。
8月17日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム)で、一軍公式戦での初完投勝利を完封で挙げた。
NPBにおいて、FA…

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