池田駿, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=3526884 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#新潟明訓高等学校出身の人物
#専修大学硬式野球部の選手
#ヤマハ硬式野球部及びその前身チームの選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#東北楽天ゴールデンイーグルスの選手
#新潟県出身の人物
#1992年生
#存命人物
池田 駿(いけだ しゅん、1992年11月29日 – )は、新潟県三島郡出雲崎町出身のプロ野球選手(投手)。
左投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
出雲崎小学校では小学3年生から穂波スカイヤ―ズ(現・出雲崎スカイヤーズ)で野球を始める。
出雲崎中学校では軟式野球部に所属した。
新潟明訓高校に進学し、2年春からエースを務めた。
3年春の新潟県大会で優勝、続く3年夏の新潟県大会も制し、第92回全国高等学校野球選手権大会に出場。
初戦の京都外大西高校、続く3回戦の西日本短大付高校を抑え、ベスト8に進出。
準々決勝の報徳学園高校戦では1年生の田村伊知郎と投げ合い、8回途中2失点(自責1)と好投したが、チームは敗れた。
甲子園通算3試合、18回5奪三振、防御率0.50。
大会後は日米親善高校野球大会の選抜メンバーに選ばれた。
専修大学進学後、1年春から東都大学野球二部リーグに登板。
2年の夏に肘の手術をし、2年秋のリーグ終盤に復帰。
チームは二部リーグ優勝し、一部最下位の東洋大学との入れ替え戦に進出。
池田は2試合目に登板し、5回1/3を1失点に抑え、勝利し、12季ぶりに一部復帰となった。
しかし、3年春は5試合で0勝3敗、防御率6.26と結果が残せず、チームも一部最下位となり、拓殖大学との入れ替え戦でも敗れ、再び二部降格となった。
3年秋、4年春はエースとして活躍するも、チームが二部優勝した4年秋は1勝3敗と結果が残せず、青山学院大学との入れ替え戦も2/3回の登板にとどまった。
2学年後輩に森山恵佑がいる。
ヤマハに入社後、1年目からリリーフとして活躍。
第86回都市対抗野球大会東海2次予選ではストッパーとして起用されたが、救援失敗が多く、第86回都市対抗野球大会では、出番はなかった。
秋から先発となると、2年目の第87回都市対抗野球大会では初戦のJFE東日本戦では5回1/3を7安打6四死球4失点、続くJR九州戦は3回まで抑えるも、4回に突如崩れ、結果が残せなかった。
第42回社会人野球日本選手権大会では初戦の東京ガス戦は山岡泰輔との投げ合いになり、山岡は2回途中で降板、池田も4回で降板となった。
準々決勝のJR西日本戦は9回途中2失点の好投で勝利し、決勝の日本通運戦は8回途中10奪三振1失点の好投で勝利し、初優勝に大きく貢献した。
池田は大会MVPと優秀選手に選ばれた。
2016年10月20日に行われたプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け、契約金5,000万円、年俸1,000万円で入団に合意した。
背番号は48に決まった。
巨人時代(2017年) 2017年、ドラフト3位の谷岡竜平と共に開幕一軍入り。
4月1日、開幕第2戦の中日ドラゴンズ戦でプロ初登板。
その後も中継ぎとして登板する。
同年6月1日、6月8日に先発し、6月1日の楽天戦で5回無失点、6月8日の西武戦では3回7失点。
最終的に、33試合登板、0勝2敗4ホールド、防御率3.35を記録。
秋季キャンプでは上半身のコンディション不良で離脱。
オフに、1,000万円増の推定年俸2,000万円で契約を更改した。
2018年、春季キャンプ中の2月に左肩肉離れで離脱。
5月22日にシーズン初登録され、5月23日にシーズン初登板。
6月12日のソフトバンク戦で右ふくらはぎに打球を受け、途中降板。
翌6月13日に登録を抹消された。
シーズン後半は一軍に定着し、8月4日の中日戦でプロ初勝利を挙げた。
登板数、投球回、防御率などの成績は前年を下回った。
オフに、300万円減の推定年俸1,700万円で契約を更改した。
2019年、シーズン初登板となった5月29日の阪神戦(甲子園)で延長12回裏1死1・2塁の場面で登板し、直後の木浪聖也に四球を与えて満塁にすると、髙山俊に代打満塁本塁打を打たれ1つもアウトを取れずサヨナラ負け。
この年の登板は2試合のみで、0勝0敗、防御率18.00に終わった。
オフに、250万減の推定年俸1,450万円で契約を更改。
背番号を68へ変更した。
2020年、開幕直後の6月25日にゼラス・ウィーラーとの交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍することが球団から発表された。
背番号は72。
同じチームに池田隆英がいる関…
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