島内宏明, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2459729 / CC BY SA 3.0
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島内 宏明(しまうち ひろあき、1990年2月2日 – )は、石川県小松市出身のプロ野球選手(外野手)。
左投左打。
東北楽天ゴールデンイーグルス所属。
明治大学時代(2011年) 御幸中学校時代は「全小松ボーイズ」でプレーした。
星稜高校時代は2年の秋から主将となり、3年の夏には甲子園に「1番・一塁手」として出場。
初戦の長崎日大高校戦では2安打1盗塁と活躍したが、チームは1-3で敗退した。
高校時代の野球部の同期には高木京介がいる。
明治大学へ進学し、硬式野球部に入部。
1年次の秋から六大学リーグ戦に出場。
3年次の秋から外野手としてスタメン起用されるようになる。
秋には規定打席不足ながら打率.400を記録。
4年次の春は中盤以降で率を落としたもののリーグ3位の打率.385を記録し、初のベストナインに選出された。
秋も打率.349の成績で2季連続でベストナインに選ばれ、第42回明治神宮野球大会でも優勝を飾った。
元々はプロ志望ではなかったが、野球部監督の善波達也や寮長に発破をかけられ、4年次の活躍でプロを志望するようになった。
大学通算成績は35試合に出場、108打数40安打、打率.370、2本塁打、12打点、3盗塁を記録。
ベストナイン1回。
大学時代の野球部の同期には野村祐輔、柴田章吾がいる。
2011年のNPBドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから6巡目で指名。
契約金3,000万円、年俸600万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は35。
横浜スタジアムにて(2012年) 2012年、同年の楽天の新人の中では唯一、開幕一軍に入った。
俊足を買われて代走要員としてのベンチ入りだったが、走塁ミスが多く、一軍と二軍を行ったり来たりの状態が続いた。
しかし、8月22日の千葉ロッテマリーンズ戦(Kスタ宮城)で「9番・中堅手」として初めてスタメン出場すると、プロ初打席でタイムリーを放つなど2安打3打点の活躍でお立ち台に上がった。
8月24日の北海道日本ハムファイターズ戦(Kスタ宮城)ではプロ初本塁打を放ち、8月28日のロッテ戦(QVCマリン)ではプロ初の猛打賞を記録した。
9月5日の日本ハム戦(東京ドーム)には同じく新人の岡島豪郎とのアベック本塁打を放つ。
新人2人によるアベック本塁打は1989年の中日ドラゴンズの大豊泰昭、山口幸司以来23年ぶり。
そのままシーズン終了まで一軍に帯同、左翼手の準レギュラーとして打席数は少ないながらも打率.299、100打席以上立った選手の中ではチームトップとなる長打率.443と結果を残した。
2013年、シーズン序盤は前年同様、相手投手の左右に合わせて右打者の中島俊哉との併用で左翼手としての出場が主だったが、セ・パ交流戦ごろからは相手先発が左投手の試合でも右翼手として先発出場するようになり、そのままレギュラーに定着した。
聖澤諒が離脱した際には中堅手として先発出場し、打率.284、OPS.717、6本塁打と“恐怖の9番打者”として活躍するが、9月13日のオリックス・バファローズ戦(Kスタ宮城)の9回の守備中に左肩を痛め、球団初のリーグ優勝を目前にして離脱、優勝の輪に加われなかった。
しかし、チームメイトは島内の貢献を称え、ベンチの中に島内のユニフォームが飾られた。
日本シリーズには復帰を果たし、第4戦に代打として1試合出場した。
2014年、シーズン序盤に打撃不振で二軍調整を経験したが、聖澤が戦線を離脱した後半戦には、一軍の正中堅手に定着。
一軍公式戦では66試合の出場で、前年と同数の6盗塁を記録したが、打率(.242)・本塁打(2)・打点(18)とも前年を下回った。
2015年、1月5日に2歳年下の一般女性と結婚したが、一軍公式戦では25試合の出場で、入団後初めて本塁打を1本も放てなかった。
シーズン終了後には、球団を通じて広島のトレーニングクラブ「アスリート」の門を叩くと、肉体改造に取り組んだ。
2016年、開幕を二軍で迎えたが、岡島が戦線を離脱した4月に一軍へ昇格すると、岡島に代わって「1番・右翼手」として起用された。
岡島は後に戦線へ復帰したが、後半戦に入って深刻な打撃不振に陥ったことに加えて、シーズン途中から入団したカルロス・ペゲーロが右翼手に起用されたことから、8月以降は「1番・中堅手」としてスタメンに定着。
8月30日の対日本ハム戦…
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