国祖 国常立命クニトコタチノミコトが国を治めるために、民に説いておられた『奉仕』と『調和』の教え。

ホツマツタエ(古事記・日本書紀よりも古い歴史書)の中に、繰り返し出てくる神さまの教え。

トの教えちゃんねるでは、ホツマツタエの関西代表であり
六甲比命神社を守っておられる林泰寛(大江幸久)先生の長年の研究データを面白おかしく伝えていく番組です。古事記・日本書紀だけではわからない、神社や神さまの秘密や、生きる知恵を今後もみなさんと一緒に楽しみながらシェアしていきます。

3月22日(土)配信

トの教えちゃんねる
『九頭竜はモチコだった⁉︎』

配信資料
令和7年3月22日

 祝詞(のりと)とは?  トの教えを 宣ること
祝詞言(のりトごと) 林説 
平安時代延喜式以降、祝詞は勝手に改変してはならなかった
 
大祓詞(重要箇所改訂第二版)  
六甲比命神社 大江版
ホツマをもとにして、最小限の改訂実施
国(くに)常(とこ)立命(たちのみこと)の造り給へる高天原(たかあまはら)に神(かむ)留(づま)り坐すモモヒナキ・モモヒナミより始まる皇(すめらが)御親(むつ) 神魯(かむろ)岐(ぎ)・神魯(かみろ)美(みの)の命(みこと)以(もち)て八百萬(やおよろずの)神(かみ)等(たち)を神集(かむつど)へに集(つど)へ賜(たま)ひ 神議(かむはか)りに議(はか)り賜ひて 天照大神は 「我が皇(すめ)御子天忍穂耳命、 瓊(ト)・矛・鏡の三種の神宝を見るごと、我と思ひて、豊葦原瑞穂國(とよあしはらのみずほくに)を安國(やすくに)と平(たい)らけく知ろし食(め)せ」と 事依(ことよ)さし奉(まつ)りき 此(か)く依さし奉(まつ)りし 國中(くぬち)に 荒(あら)振(ぶ)る神(かみ)等(たち)をば 神(かむ)問(と)はしに問はし賜(たま)ひ 神掃(かむはら)ひに掃ひ賜ひて 語(こと)問(と)ひし 磐(いわ)根(ね) 樹(き)根立(ねたち)草(くさ)の片(かき)葉(は)をも語(こと)止(や)めて 天(あめ)の磐(いわ)座(くら)放ち 天(あめ)の八(や)重雲(えぐも)を 伊頭(いず)の千(ち)別(わ)きに千別きて 天降(あまくだ)し依(よ)さし奉りき 
此(か)く依さし奉りし
四方(よも)の國(くに)中(なか)と大倭(おおやまと)日高見國(ひたかみのくに)を安國(やすくに)と定め奉りて 下(した)つ磐(いわ)根(ね)に宮(みや)柱(ばしら)太(ふと)敷(し)き立て 高天原に千木(ちぎ)高知(たかし)りて 皇御孫瓊瓊(すめみまごにに)杵(きねの)命(みこと)またの御名(みな)別(わけ)雷神(いかづちのかみ)の瑞(みず)穂(ほ)の御殿(みあらか)仕へ奉りて 天(あめ)の御蔭(みかげ) 日の御蔭と隠(かく)り坐(ま)して 安國と平(たいら)けく知ろし食(め)さむ  
國(く)中(ぬち)に成り出(い)でむ天(あめ)の益人(ますひと)等(ら)が 過(あやま)ち犯しけむ種種(くさぐさ)の罪事(つみごと)は 天つ(あまつ)罪(つみ) 國(くに)つ罪(つみ) 許許(ここ)太(だ)久(く)の罪出でむ 此(か)く出でば 天つ宮事以(みやごとも)ちて 天つ金木(かなぎ)を本(もと)打ち切り 末(すえ)打ち断ちて 千座(ちくら)の置(おき)座(くら)に置き足(た)らはして 天(あま)つ菅(すが)麻(そ)を 本刈り(もとかり)断(た)ち 末(すえ)刈り切りて 八針(やはり)に取り辟(さ)きて 天つ(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞(のりと)事(ごと)を宣(の)れ
(例 トホカミヱヒタメの三唱  アワウタ奏上など)

此く宣らば 天つ神は天(あめ)の磐門(いわど)を押し披(ひら)きて 天の八重雲を伊頭(いず)の千別きに千別きて 聞こし食さむ 
國(くに)つ神は高山(たかやま)(六甲山)の末 短山(ひきやま)(甲山)の末に上(のぼ)り坐して 高山の伊褒(いぼ)理(り) 短山(ひきやま)の伊褒(いぼ)理(り)を掻(か)き別けて聞こし食さむ 
此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は在らじと 科(しな)戸(ど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝(あした)の御(み)霧夕(ぎりゆうべ)の御霧を 朝風夕風(あさかぜゆうかぜ)の吹き払ふ事の如く 大津(おおつ)辺(べ)に居る大船を 舳(へ)解き放ち 艫(とも)解き放ちて 大海原(おおうなばら)に押し放つ事の如く 彼方(おちなた)の繁(しげ)木(き)が本を 焼(やき)鎌(がま)の敏鎌(とがま)以ちて 打ち掃ふ事の如く 遺(のこ)る罪は在らじと 祓(はら)へ給ひ清め給ふ事を 
高山の末短山の末より 佐久那(さくな)太(だ)理(り)に落ち多岐(たぎ)つ 速(はや)川(かわ)(夙(しゅく)川(がわ))の瀬に坐(ま)す瀬織津姫と言ふ神 大海原に持ち出でなむ 
此く持ち出で往(い)なば 荒(あら)潮(しお)の潮の八百(やお)道(ぢ)の八潮(やしお)道(ぢ)の潮の八百(やお)會(あい)に坐す速(はや)開(あき)都(つ)姫(ひめ)と言ふ神 持ち加加呑(かかの)みてむ 
此く加加呑みてば 気吹(いぶき)戸(ど)に坐す月読(つくよみ)命(のみこと)の御子(みこ)なる気吹(いぶき)戸主(どぬし)といふ神 根(ねの)國(くに)底國(そこのくに)に気吹(いぶ)き放ちてむ 
此く気吹き放ちてば 根國底國(ねのくにそこのくに)に坐す速(はや)(※ハヤコ)佐須(さす)良(ら)姫(ひめ)持ち(※モチコ) 佐須良ひ失ひてむ 
此く佐須(さす)良(ら)ひ失ひてば神上がり 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬(やおよろずの)神(かみ)等(たち)共に 聞こし食せと白す  (令和7年3月22日)        

大祓詞と瀬織津姫、六甲・阪神間の深い関係
大祓詞の「高山の末」は「六甲山」、「短山の末」は「甲山」(廣田神社の神奈備山)、「速川の瀬に坐す瀬織津姫」は「夙川の瀬にまします瀬織津姫=向津(六甲むかつ)姫」にそれぞれ対応します。これら
はアマノコトネさんが神様からお聞きしたことです。
夙川の「夙」には速い、という意味があります。
灘五郷の酒造に使われる水はすべて夙川の伏流水の「宮水」です。その中の「白鷹」は伊勢神宮唯一の御料酒です。 まさに水の神、瀬織津姫の御業です。   

大祓詞一部加筆・改訂理由
神を称える祝詞とされながら、それとは裏腹に、具体的な神々の御名が極めて少ない大祓詞。
ホツマツタエの2紋(アヤ)には、「カミロキ」はイサナキのまたの名、として記されており、このことから神魯(かむろ)岐(きの)命(みこと)・神魯(かむろ)美(みの)命(みこと)は伊弉諾命・伊弉冉命の陰陽二神を指すものと考えられる一方、多くの祝詞に登場するこの神漏岐・神漏美命は陰陽(男女)の皇祖の神々と広く一般に解釈されています。
ところで、高天原の主宰神は伊勢神宮内宮の天照大神・瀬織津姫であり、ホツマに基づけば、外宮の豊受大神はいわば総監修の神です。
ですから、頻繁に高天原の神々を集合させ、会議を主宰されるのは天照大神・瀬織津姫のはずです。
神魯岐・神魯美命が固有名詞ではなく役職名と解釈すれば、天照大神・瀬織津姫を示す、とも捉え得るのです。
この改訂版の大祓詞では、神魯岐・神魯美命を陰陽(男女)の神々で国を治める最初の神、4代目モモヒナキ・モモヒナミから8代目天照大神・瀬織津姫といたしました。
そして天照大神の御世に、瀬織津姫の功績により、神宝に鏡が加わった「三種の神器」は現代にいたるまで、皇位継承の重要な意味を持っており、文中に補う必要がある、と考えました。
瓊(ト)・剣・八咫鏡=三種の神器を継承する皇(すめら)の御子に「豊葦原水穂国を治めなさい」と仰せになったのは、八代天照大神であり、仰せつかったのは九代目天神の天忍穂耳命です。
『ホツマ』では天忍穂耳命が、近江多賀・陸奥(みちのく)多賀(宮城県多賀城市)で政務を掌るご事績が記されているにもかかわらず、『記紀』では消されてしまっています。
 最後に登場する ハヤ サスラヒメ モチ は元は天照大神の后でありながら、宮中に歯向かって、内乱騒動を引き起こしたモチコ・ハヤコのことであり、その罪の大きさからすれば、大祓詞成立の奈良時代では、まだ、罪の償いは完了しておらず、他の三神と同等の神として扱われる段階ではありません。
それを無理矢理、祓戸四神として一緒に祀ること自体、はなはだ無神経な仕打ちです。
天照大神の御世、八岐大蛇と化したハヤコはイワナガ姫として生まれ変わり、瓊瓊杵命と木花咲耶姫を陥れたことから、瀬織津姫のもとで抑えられました。
モチコは戸隠での魂断ち後も、九頭龍となって人々を悩まし続けました。その一方、モチコ・ハヤコの子孫として、優れたお働きをした神々や、人物を多く輩出してきています。
両者とも長年月を経て改心し、善の神を目指す、として動き出したのは1950年代以降、つまり1966年、ホツマが世に出て、全てが白日の下にさらされる、という時機の到来によって、です。

岩長姫命神社
サイト 人文研究見聞録 より

天龍八岐龍神社 ヤチマタ大龍神
サイト 人文研究見聞録 より

ハヤコは京都府福知山市大江町の元伊勢内宮の祭神に加わり、モチコは京都八瀬の九頭竜大社で善行を積み上げて、天へあがる、と宣言しました。

結社=イワナガ姫
鞍馬寺=天照大神=毘沙門天
九頭龍大社=モチコ(ハヤコ)
これらの神霊のなす現象は、『古事記』・『日本書紀』、およびほかの古史古伝では、一切説明がつきません。
さて、 2025年ホツマの内容、モチコ・ハヤコの悪行について多くの人々が知るところとなりました。
モチコ・ハヤコをいまだにそのまま悪の権化ととらえることは、誤りであることであることを強調すべきと考えます。
我々は、この両神の改心を大いに称え、真の神上がりを応援していくのが良い、と思います。

神々の御名をあえて省略したり、(ホツマの観点からは)事実を歪曲したり、わかりづらい神名に置き換えたりと、後世にまで遺恨を残すこのような記述をした大祓詞の作者の意図はいったい何だったのでしょうか?
ともかく、ホツマを前提に、大祓詞の原型を損ねることなく、最小限の改訂を施しました。
                   令和7年3月22日

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