桑原謙太朗, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1239391 / CC BY SA 3.0
#日本の野球選手
#津田学園高等学校出身の人物
#奈良学園大学硬式野球部及びその前身チームの選手
#横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手
#オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手
#阪神タイガース及びその前身球団の選手
#最優秀中継ぎ投手_(NPB)
#三重県出身の人物
#1985年生
#存命人物
桑原 謙太朗(くわはら けんたろう、1985年10月29日 – )は、阪神タイガースに所属する三重県名張市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
名張市立名張小学校4年生の時に、地元の名張少年野球団で野球を始めた。
津田学園高校への進学後は、1年秋から控え投手としてベンチ登録。
3年春にエースの座をつかんだが、在学中は春夏ともに甲子園球場での全国大会出場を果たせなかった。
奈良産業大学への進学後は、1年秋からベンチ登録。
近畿学生野球のリーグ戦では、2007年春の対奈良大学戦では完全試合を達成したほか、同年秋に6勝を挙げてチームの3季連続優勝に貢献した。
在学中には、リーグ戦通算47試合に登板。
26勝2敗、防御率1.38, 255奪三振を記録したほか、最優秀選手1回、最優秀投手1回、敢闘賞1回、投手部門のベストナイン3回を受賞した。
2007年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから3巡目で指名。
契約金7,000万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で入団した。
背番号は38。
湘南シーレックス時代(2010年8月27日) 2008年公式戦開幕直後の4月6日に、対広島東洋カープ戦(広島市民球場)8回裏に4番手投手としてデビュー。
以降も、先発・中継ぎの両方で公式戦での登板を重ねた。
同年7月9日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、同点の4回裏からの救援登板で2回を無失点に抑えると、チームが勝ち越したことから一軍初勝利を挙げた。
先発に起用された8月16日の対阪神タイガース戦(京セラドーム大阪)では、150球を投げた末に、7被安打無失点6奪三振という内容で初完投・初完封を達成した。
公式戦全体では、30試合の登板で、3勝6敗1ホールド、防御率4.74をマーク。
2009年には、オープン戦期間中に故障した影響で、シーズン初の一軍昇格は8月21日にまで持ち越された。
昇格後は、主に中継ぎとして公式戦に登板した。
チームに先発要員が不足していたシーズン終盤には、2試合に先発すると、通算14イニングで3失点と好投した。
公式戦全体では11試合に登板。
登板試合数は前年の3分の1近くに減ったうえに、勝敗は付かなかったものの、防御率を1.76にとどめた。
2010年には、公式戦18試合に登板。
先発では1試合に登板しただけで、前年に続いて中継ぎでの起用が多かったが、2年振りの勝利とホールドを記録した。
ただし、防御率は6.13にまで達した。
オリックス時代(2011年8月23日) 2010年11月11日に、一輝との交換トレードで、野中信吾とともにオリックス・バファローズへ移籍した。
背番号は13。
2011年には、公式戦10試合に登板。
勝敗は付かず、防御率は3.50であった。
2012年には、ウエスタン・リーグ公式戦22試合に登板。
5勝1敗、防御率2.61を記録したが、公式戦(一軍)には2試合の登板にとどまった。
2013年には公式戦6試合、2014年には公式戦4試合に登板。
しかし、いずれも勝敗は付かず、シーズンの大半を二軍で過ごした。
2014年11月7日に、白仁田寛和との交換トレードで阪神タイガースへ移籍したことが発表された。
当時手薄だった中継ぎ投手の補強を図っていた阪神球団と、白仁田を先発要員と見込んだオリックス球団の思惑が一致した末のトレード成立で、桑原も移籍を機に白仁田の背番号64を引き継いだ。
2015年には、プロ入り後初めて、レギュラーシーズンを一軍でスタート。
3月27日に京セラドームで催された中日ドラゴンズとの開幕戦を皮切りに、開幕3カード(9試合)のうち4試合に救援で登板した。
もっとも、無失点で凌いだのは1試合だけで、4月3日に出場選手登録を抹消。
5月中旬にも救援で公式戦2試合に登板したが、シーズンを通じて勝敗は付かず、防御率は8.53にとどまった。
2016年には、ウエスタン・リーグ公式戦29試合の登板で、1勝3敗2セーブ、防御率2.42をマーク。
しかし、プロ入り後初めて一軍公式戦での登板機会はなかった。
2017年には、オープン戦8試合の救援登板で防御率1.17という好成績を…
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