今回は、このシーズンにスポットを当てて
弱者が強者を打倒するというノムさんの真骨頂を纏めてみたいと思います。
名将が名将たる所以を知れる動画にしたいと思いますので
歴史の1ページを振り返る準備ができた方はご一緒にどうぞ。
0:45 ノムさんvsミスター
6:08 ID野球炸裂
23:39 優勝への道
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49 Comments
ノムさんは不滅です
97年の後半戦に入った頃から巨人の霊圧消えてて草
今日発表されたヤクルトのスローガン「捲土重来」はこの1997年のスローガンだった
この年は、ベイファンにはきっつい年だったなぁ・・あのタイミングでノーヒットノーランは息の根を止められるに十分過ぎた
2:57最近モノマネにも力入れてきてる?笑
前年のオフに巨人を退団した落合さんの獲得を狙ったヤクルト
もし入団してたら同じ一塁の小早川さん獲ってないかもだし、あの3連発もなかったのやろか?
ホージーもチームも下馬評を覆すような活躍で掴み取った優勝と日本一
古田さんにとっても92年日シリで西武に敗退した際に東尾さんに貶された因縁があるから
東尾監督の目の前で日本一になってさぞしてやったりだったかもしれない
超アンチ讀賣の私には
最高のシーズンでした
95年と97年のペナントレースってなんとなく似てる。
ヤクルトは前評判が良くなかったし、巨人は圧倒的に優勝候補だったが結果は逆だった。
ヤクルトが優勝する時は外国人が大活躍する事が多いが、この年はホージーがそうだった。
弱投と言われて久しいヤクルトにもこういう投手がいた。
巨人も大コケだが阪神は暗黒期真っ只中で補強も大失敗。そんな阪神に勝ち越せない横浜、ドーム元年で環境に馴染めなかった中日とか戦力不足に喘いだ広島とか大変な年だったな
この年の開幕戦テレビで観てて小学生だった私に父親が小早川選手の事をこの動画のノムさんのように語っていたのが記憶にあります!懐かしい記憶を思い出させる動画ありがとうございます!
川崎の代名詞であるシュートは97年からだったのか。
それまで投げてなかったのは知らなかった。
ノムさんはやっぱり凄すぎる😅
まだまだ根性論が根強い時代の中で、先見の明を持っていた野村監督。
自身の成功体験に囚われずに、選手一人一人にフォーカスして言葉を送っていた。
勿論、チームとしての柱を建てた上で。
メディアの使い方も上手くて、特に楽天時代は自身のボヤキに注目を集めさせつつ、チームへのテレビの前の視聴者に楽天への関心を持たせた。
また、ヤクルト以降は柔軟性も持ち合わせて、新庄監督のミーティングが長すぎるとせっかくのお話を全て集中して聞いてる事が出来ないという意見を取り入れ、ヤクルト時代よりもミーティングが短くなったという話も。
捲土重来2025が発表されて
当日にこれはタイミング良すぎ
交互に優勝する法則ではなく、古田捕手が全試合出場した 1993年、1995年、1997年はヤクルトが優勝。全試合出場しなかった1994年、1996年は巨人が優勝。
交互に優勝するというのは後付けであって、実際はヤクルトは古田捕手に大きく依存したチームだったと言える。
また、斎藤投手のカーブは前年までとは違い球威が落ちているというスコアラーの報告を受けて、狙っていたら打てると踏んで指示したと言われています。
そして、小早川選手は打席ごとに狙い球を変えているというホームランバッターらしかなぬ特異なバッターであり、巨人の村田捕手は打たれた球種は次の打席では要求しないという性格だった。
そのため、違う球種が来ると思っていた小早川選手、次は違う球種を要求する村田捕手の2人の思考パターンから生まれたのが3本目のホームランとも言える。
落合獲得失敗から生まれた小早川の伝説
神宮球場をホームとしているのだから、打ち勝つ野球が合うと思います
この年Aクラスがヤクルト、横浜、広島って1960年代や2000年代後半の人とかが見たら卒倒だろうな
この年も痛快でしたが広沢ハウエル両取りされても優勝した95年もできたら特集していただけたら
オリックスとの日本シリーズの名場面込みで
ノムさん、小早川のカーブを叩いてのホームランの時の「監督、バッチリでした!」と言った時の嬉しそうな顔が忘れられないと著書に書いてたな。
ノムさんが廣田や野中を採用した時、「こんないい選手がクビになるんか・・・。ダイエーも中日もよっぽど選手が余っとるんやな。羨ましい限りや!」とぼやいてた。
多分このチャンネル主巨人の事嫌いなんだろうな
うちは父がヤクルトファン、息子のわたしが巨人ファン
この頃はホントにノムさんが嫌いだった
長いこと野球見てたけど、野村vs長嶋時代から権藤横浜が日本一になるあたりはTOP3に上げられるくらい面白かった期間だったな。
この年は阪神あっ察し…
グリーンウェル
ちなみに、96年から99年までは阪神の外国人はシーズン中に退団している。個人的にグレン・デービスの野球カード持ってたのに…
グレン・デービスは、デービスとなると近鉄のあの人を思い出す為、登録名は「グレン」となったらしい。
ノムさんって徳川家康みたいw
ちなみに声優・松本梨香さんは横浜ファンでもあり
ハマの大魔神が好きだったとか…
4位と1位の繰り返しはすごいな笑
このムラがヤクルトよねw
ヒルマンはチームドクターが腱板断裂を誤診していたのは不憫だった。
この当時の巨人は完全に悪役だった
その原因は巨人を私物化し、金に任せて狂ったように選手をかき集めた故、渡辺恒雄にある
ナベツネは長嶋の威光ですら覆い隠せないほどの邪悪であった
巨人の人気が低下したのは完全にナベツネの責任
ノムさんは本当に名将だよ、南海ヤクルトを優勝に導いて
阪神や楽天では優勝出来なかったけど創設間もない楽天をクライマックスシリーズに導いて
シダックスを含めた各チームで野球の奥深さ面白さを伝えて
その教えを受けた人たちがプロアマ問わず、今ノムさんと同じ指導者の立場になってその教えを伝えている
一方同じ球団でしか監督をしなくて、尚且つ巨大戦力を揃えてもらいながら日本一を2回しか出来なかった長嶋さんは名将かと言われるとなんか違うわ
まだ原さんの方が上だと思う
開幕戦をリアルタイムで見ていたG党の私は、小早川の3発目の時に「前の打席のVTRであってくれ!!」と心から願ったものでした。
95年のヤクルトも強かった。
97年の巨人は清原和博、ヒルマン、石井浩郎と獲得したメンバーがダメで。逆に近鉄に移籍した吉岡雄二は98年から鈍角を現し、99年にファーストのレギュラーに定着。
28:06TV見たけど当時石井一久との交際がスポーツ紙に大体的に出てたから今更実名を伏せてもな…と思った
野村が良かったのは、IDとは言うがなんだかんだでクソ厳しい(特に野手に)ところ
これで元々スペックが高い池山や古田らを叩き上げて息をつかせなかったのが強さの基礎にある
仰木や森は実はこれが不得手だった。野村の方がちゃんとした体育会系
野村さんが「監督は気づかせ屋や」の一言がスラムダンクで安西監督が山王工業戦を前に緊張してる選手らを一人、一人アドバイスしてるシーンを思い出した。
古田「97年はホージーのおかげで優勝出来た」
「翌年は他球団に弱点がバレて打てなくなった」
清原獲得して滅茶苦茶になった巨人、出てったら
リーグ2連覇した西武w
批判覚悟だけど、ミスターは人気と現役実績がすごいけど
監督としては名将とまではいえないと思う。
可もなく不可も無くという感じ。
監督としてはノムさんを推すかな…
泥臭い舌準備(下準備)
某神田うのさん、今年お願いします
球界に限らず理論派頭脳派でよく語る人はたくさんいるがここまで結果を残してる人は稀有でしょうね
贔屓のイーグルスにおられた頃は勝てないことが多くてもなんか楽しめる日々を過ごせました
月見草(歴代HR2位)。多分、ラフレシアみたいにデカい月見草やぞ。
某神田うのってw
川崎は92年は怪我で一軍登板無しなので、90年からの3年連続二桁勝利ではないですよ
編集力取材力もさることながらモノマネが似すぎてる
1997年のペナント、野村再生工場ヤクルト編の集大成だと言えます。
2022年秋のスポーツグラフィックナンバーでは、似て非なる監督、
落合博満と野村克也で取り扱った話題に注目しました。
両者とも守り勝つ野球を信条に掲げていました。