ルビー・デラロサ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2894143 / CC BY SA 3.0

#ドミニカ共和国の野球選手
#ロサンゼルス・ドジャース傘下の選手
#ロサンゼルス・ドジャースの選手
#ボストン・レッドソックス傘下の選手
#ボストン・レッドソックスの選手
#アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手
#アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下の選手
#読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手
#在アメリカ合衆国ドミニカ共和国人の野球選手
#サントドミンゴ出身の人物
ルビー・カルロス・デ・ラ・ロサ・コーポラン(Rubby Carlos De La Rosa Corporan, 1989年3月4日 – )は、ドミニカ共和国・サントドミンゴ出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。
読売ジャイアンツ所属。
2007年7月2日、エル・ボニート・デ・サンイシドロ高校からロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約。
2011年5月24日にメジャー初昇格を果たし、同日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。
2度目の登板となった27日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャー初勝利を挙げる。
6月7日のフィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャー初先発し、5回を投げ4安打1失点4奪三振で先発初勝利を挙げる。
その後は先発ローテーションに入り、最終的に13試合に登板(先発は10試合)し、4勝5敗・防御率3.71という成績を残す。
しかし、このシーズン最終登板となった7月31日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦にて、ミゲル・モンテロに投球した際に尺側側副靱帯が断裂し、試合終了後に故障者リスト入り。
その後トミー・ジョン手術を受けた。
2012年8月21日に約1年ぶりに復帰したが、登板はこの1試合のみであった。
2012年10月4日、8月25日に成立したトレードの後日発表選手として、ジェリー・サンズと共にボストン・レッドソックスへ移籍した。
2013年8月3日にメジャー昇格し、6日にレッドソックスでの初登板を果たす。
2014年3月7日にレッドソックスと1年契約に合意した。
2014年レギュラーシーズンは、自己最多となる19試合に登板し、うち18試合で先発として投げた。
初めて100イニングをクリア、シーズン防御率を4.43とし、2011年以来3年ぶりにメジャーでの勝ち星を挙げた。
2014年12月12日にウェイド・マイリーとのトレードで、アレン・ウェブスター、レイメル・フローレスと共にダイヤモンドバックスへ移籍した。
2015年は、14勝9敗。
2016年 2016年5月26日に右肘を痛め、翌27日に15日間の故障者リスト入り、7月25日に60日間の故障者リストに移行した。
9月9日に復帰したが、復帰後は2試合の登板にとどまった。
12月2日にノンテンダーFAとなった。
2017年1月10日にダイヤモンドバックスとマイナー契約で再契約し、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった。
シーズンでは開幕を故障者リストで迎えると、5月に復帰して主にAAA級リノ・エーシズで投げた。
6月23日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした。
8月にプロ入り後2度目の右肘のトミー・ジョン手術を受ける。
9月1日に自由契約となったが、11月7日に再びダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだ。
2018年は、マイナーで過ごす。
2019年 2019年6月22日に日本プロ野球の読売ジャイアンツが契約したことを発表し、同月27日に公示された。
背番号97。
背ネームはDE LA ROSA。
シーズン終了までの契約で、推定年俸は3,000万円。
9月10日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で161km/hを記録。
7月末頃からは主にクローザーを任され、勝てば優勝となる9月21日の対DeNA戦(横浜スタジアム)で延長10回表に勝ち越し1点リードで迎えた10回裏に登板。
三者連続三振でゲームを締めくくり自身初となる胴上げ投手となった。
最終的には、26試合登板、1勝0敗8セーブ5ホールド、防御率2.25を記録。
特に、投球回24に対し、32奪三振を記録した。
オフに、推定年俸1億3,000万円で残留することが発表され、背番号は12に変更された。
「12」には愛着があるという。
2020年は左脇腹の肉離れで約1ヶ月の離脱があったが、35試合登板、2勝0敗17セーブ5ホールド、防御率2.56を記録し、守護神としての働きを見せた。
オフに、推定年俸1億6,000万円で残留することが発表された。
2021年、開幕直前の3月4日に左足小指を骨折したことが…

Write A Comment