今回は、古葉政権を中心に、チームが強くなっていく過程から
黄金時代終焉までの流れを振り返っていきたいと思います。

なぜ貧弱集団が突如として黄金時代を迎えることができたのか、
歴史の1ページを振り返る準備のできた方はご一緒にどうぞ。

0:45 黄金時代の下地
7:25 涙の初優勝
14:54 赤ヘル旋風到来
26:06 バトンは次世代へ

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【画像/動画引用について】

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音声による説明や紹介をメインに作成しており
そのための『引用』として使用しています。

30 Comments

  1. 1975年は大下剛史さん、外木場義郎さん、山本浩二さん、衣笠祥雄さんが中心でしたね‼️

  2. 巨人の黄金時代が終わりを迎えそして広島の黄金時代になりましたね。

  3. もちろん自分はこの世代では無いけど、この頃のカープを知って野球が好きになって、カープのファンになったなあ・・・

  4. 親父がこのときの山本浩二が好きでカープファンだったな。その影響で自分も九州育ちなのにカープファンになってしまった。
    去年燃ゆったとき周りにカープファンいなくて誰も慰めてくれず寂しかったな笑

  5. やはり、目立つのは高橋慶彦・鬼軍曹・大下だな!色々な意味で😂キヌさん・浩二さんが攻撃で、ペイさんやあまり名前が出ない、山根さんとピッチャーが頑張って、江夏・大野さんが後ろで頑張ってくれた。

  6. 16-18年に一度でも日本一になってれば「平成の黄金世代」とされただろう。
    だがセリーグの日本一連覇は79,80年のこのカーブを最後に無いというね。

  7. 黄金期終わった後も野手はノムケン、正田、前田(マエケンではない)、金本、西山、緒方、江藤(サミュエルではない)がいて、
    投手陣は北別府と大野と川口(春奈ではない)がまだ健在で佐々岡、山内、亀頭といたが、野村ID野球と長嶋コンピューター野球が1枚うわ手で優勝はできなかった。

  8. ワイちな燃ゆ
    贔屓が生まれてから一度も日本一を見れてない唯一の球団になってしまったのが悲しい

  9. 江夏をトレードで出してなかったら古葉監督の間にあと一回は優勝出来たと思う。

  10. 阿南監督の出来事は、やはり、長富の、広島市民球場で中日と広島が、仁義なき戦いだな😂仁村(弟)が当たりました、中日のベンチからショートに走りに行き、仁村(弟)は大学の先輩の達川に「先輩!多いじゃないですが!」達川「ワレ!誰に言いよるな!、いらん事、言わんでえぇ」と後から漢・星野が「何?達!」腹をボコボコにして、一方でショートでは高橋慶彦が岩本に前蹴りして長内がヘッドロックして、センターから長嶋が飛び蹴りからのボコボコに、抗争結果は長嶋は左手小指骨折で岩本は5日の入院!野球のプレーなら納得行くが、まさかの乱闘!アウトレイジ(全員悪人)

  11. 今回も素晴らしい動画のアップロード、ありがとうございます!!!

    広島東洋カープの歴史が大変よく解った神動画でございました😃赤ヘル軍団誕生の由来、名将・古葉監督について等々、自分が知らなかった事柄ばかりだったので、大変勉強になりました!

    またいつもながらの神懸かり的な言い回し(文章力)にも感銘を受けました😍また今後の新作にも期待してます!

  12. カープファンの自分としては神動画です!ありがとうございます😭

  13. 金が無いから獲った選手を死ぬ気で育て上げてチームを強くする。
    これがマツダスタジアムが出来る前までのカープのイメージだったんよ…。

  14. 今年ベイスターズが日本一になった事で、12球団で1番日本一から遠ざかっているチームになってしまった広島東洋カープ

  15. 1975広島優勝
    1979広島優勝
    1980広島優勝
    1984広島優勝
    1986広島優勝
    1991広島優勝

  16. 受け継いだものの… 達川さんが引退した1992年以降成績がガタ落ち。長年正捕手を務めた精神的支柱となるベテランが戦線から外れるとチームの成績も面白いように転げ落ちるという轍をヤクルトと中日も踏むことになるのであった…

  17. 古葉監督の南海時代の一幕
    ノムさん「エモ!お前は交代や」
    江本「ノムさんのせいで打たれたから、ベンチからノムさん野次ったろ」
    江本「ヘイヘイキャッチャーの肩が弱いから走られるんだよ!ちゃんとやれや!俺らのせいにしてんじゃねえぞ!」
    ノムさん「(うるせえな)」
    江本「ヘイヘイキャッチャーヘボいよ!」
    無表情の古葉コーチ「お前そろそろいい加減にしろよ」
    江本「あ、ハイすいません…」

    カープでは名将だった古葉さんは、あまり語られることは少ないですが
    ノムさんが選手兼任監督時代に優勝したときの名コーチでした

  18. 1986年に優勝した時の阿南監督のインタビューが今でも忘れられない。「胃が痛くなると言われましたが、どうかこれで勘弁してください」・・・リーグ優勝したもののその年のカープは少ない得点を投手陣が守って勝つという野球でさんざん批判されてたから。それまでのカープ黄金時代がいかに凄かったかという証明でもある。そしてその阿南氏も今年7月にお亡くなりなりました。合掌。

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