今回は、2006年~2007年における古田ヤクルトの
プチ暗黒期ともいえる2シーズンを振り返っていきたいと思います。

今思えば暗黒時代に足を踏み入れ始めていたチームの戦いぶりと
古田の監督としての苦悩を知れる動画となっていますので
歴史の1ページを振り返る準備ができた方はご一緒にどうぞ。

0:45 選手引退と監督退任
4:08 29年ぶりの兼任監督誕生
8:55 予想外の超攻撃型野球
12:52 選手引退と監督退任
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34 Comments

  1. 古田が偉大過ぎて古田の後継者がいなかったのが監督失敗した理由。
    逆にノムさんがプレイングコーチでも成功したのは、監督となっても野村捕手として選手として試合に出続けたからだろう。

  2. ノムさんが球団に絶対取ってくれって言ってなかったからどうなってただろうな、

  3. 古田はメガネの風貌や明るい顔からは想像できないほどのゴリゴリの昭和指導者だからなー

    選手時代はもちろん再編問題やファンサービスの向上など功績はものすごいけど、「プロ野球監督」としての資質は当時ではあまりなかったんではないかな?

    できたら今の経験や感覚を持って監督リベンジしてほしい

  4. 見た目はのび太君だけど、出来杉君とジャイアンをたして2でわった男。

    その頭脳と負けん気の強さがあったから、今も2リーグ制があるんだけどね。

  5. それにしてもヤクルト退任後の古田に他球団から監督の声が掛からないのが不思議だ。

  6. 古田さんにはもう一度監督やってもらいたい!切実に!
    球界再編問題ではよくあの一年大変だったと思います!当時はよく現状が分からなかったですが…あれからファンと選手の距離が近くなった気はします!球界の功労者と言っても過言ではない選手でした!
    あの時代では間違いなく古田さんがNo.1です!矢野さん、城島さん、谷繁さん、里崎さん、西山さん、阿部監督いてよく捕手全盛期でした!
    パワプロではお世話になりました!

  7. 指導者になった事によって若手や今後を考えないとダメになりまだまだ現役を続けれたのに終わりが加速しちゃいましたね。
    ノムさんみたいにバリバリ出ながら監督やれる状況ならまた違ったかもしれんね。

  8. 古田、谷繁と2人の平成を代表する名捕手はいずれも選手として晩年を迎えたころに監督を引き受けた
    選手としてのコンディションも整えながら、チームの再建、自分のあとの正捕手育成という重責を担った。特にヤクルトは、2009年に横浜から相川を獲って、相川のあとには中村悠平が正捕手を担い、中村は3回もリーグ優勝に貢献した。古田時代は世代交代に苦労したが、相川からの中村は華麗な世代交代だったように思う

  9. あの頃は球界再編問題で、12球団オーナー連中が「将来の野球界を何も考えていなかった」から
    古田の中で「呆れ」「怒り」だけが入り混じった時期だった

    それがシーズンの試合にも出てしまい、自チーム選手に厳しい声を出すようになり、選手たちが「やりにくさ」を感じてしまっていたらしい

    当時のコーチ
    「古田監督に、何も言えない雰囲気があった。
    忙しさを知ってるから、下手なことは口に出来なかった」

  10. 選手だろうが、兼任監督だろうが1990~2000年代のヤクルトは古田氏がいてこそのチームだったという事なのでしょう。古田氏の成績がチームのそれとほぼ比例していたけど、兼任監督なんてやはりムリゲーでした。師匠やそのまた師匠(師匠や大沢氏とかは投手の酷使とかこの人の悪い点も受け継いでしまったが・・・・・・・)の時代とはレベル違いますものね。これが球歴にミソを付けてしまった形となってしまったのはつくづく残念です。

  11. 引退から何年かしてからの古田さんにお会いした事がある。さすがは元プロ野球選手長い間プロ野球で戦い抜いた大きな身体に
    爽やかな笑顔にTVとは変わらない元気で明るい声。素敵な方でした。

  12. Fプロジェクトでなんとか来場者増を画策したもののすぐには実らなかったが、球団の継続的な努力と山田哲人の登場や2015年のリーグ優勝により今や神宮球場が満員になる日ばかりになったのが感慨深いです。

  13. 有名な野球選手の自宅を突き止めたり、若いアナウンサーをいじるテレビ局のスポーツ番組が取り上げることが多かった人という印象しかない。

    この人は意外とメディアに出たがりなのかなと思います。

    この人は、自身が試合に出続けた際に代わりの捕手をなんで育てないんだと普通なら考えるけど。

    この人がそうだと思いませんが、野球に関わる人って、なんでこんなに偉そうなんですか?

    指導者が横柄に怒鳴りつけたり、体罰暴言があったり、高校球児は学校で態度が酷かったり、せっかく好きでやってる草野球で野次を飛ばして相手を不快にしたり。

    野球というフィルターを使っての違法行為だと思います。

  14. 時代と就任時の年齢が違うとはいえ、選手兼任やりながらタイトル争いしてたノムさんバケモン過ぎだろ
    ブレイザーっていう片腕がいたのもあるんだろうけど
    普通は古田や谷繁みたいな成績になるよ

  15. 古田の方程式を見てると、古田氏自身は「ギュッときたところをバーンと打つ」みたいに話すので理論派というより感覚派だったのかなという印象。
    そういう意味ではあなり監督向きとは言えなかったのかもなぁ。
    似たように感覚派に見える新庄監督が結果を出してるから、伝え方の問題なのかもしれないけどさ。

  16. これがあったから古田さんは
    監督をやりたがらないのかな?
    監督じゃなくてもコミッショナーとか
    してほしいよ古田さんには。

  17. 代打で嫌な顔するベテランってなんなん?
    そもそも論試合にも出れてないし、ベテランとか言っても社会的には全然若いだろ
    何を勘違いしてんだよ

  18. この人が居なかったら今のプロ野球がどうなっていたか分からないし、全てのプロ野球ファンが感謝していると思う。
    選手会会長としてシーズン中に奔走した2004年は誰も忘れないし、すぽるとに出演した時の事も絶対に忘れない。

  19. 『背番号27=名捕手の番号』を決定付けたのは巨人の森昌彦でしょ。それ以後、古田以前に大矢、伊東勤がいるわけだし。『代打、オレ』は藤村富美男の「代打、ワシ」の劣化コピーやぞ。

  20. 古田敦也と谷繁元信など現役時代に輝かしい実績残したレジェンド達が指導者になるとダメ監督烙印押されてグラウンド去ったのが非常に悲しい、プレイングマネージャーで成功したのは野村克也だけだもんな。まだ二人共若いからもう一度改めて専任監督としてユニフォーム着てほしい

  21. 2番リグスだったりファンサ拡充だったり先見の明はあったよね

  22. 自分は2番がバントするより打った方が嫌だとゲームをして思っていたのですが、やっぱり当時の選手もそう思っていたんですね。

  23. 兼任監督はやるんなら自身が全盛期の時にやるべきなのよな
    それなら正捕手不在になることもないし若くて余力もあるし
    谷繁もそうだけど晩年にやるから尻切れトンボになってしまうのよ
    そこが野村兼任監督と二人の違いだと思うよ

  24. ノムさんが兼任監督について「俺がやってた頃と違って今は野球が複雑になっているから兼任監督をやれという方が無理がある」と言ってたな
    谷繁もだけど今度は専任監督として数年やって欲しいよ

  25. この頃に2番に強打者を置くのは別に不思議ではないと思う。カズ山本やガッツも2番打ってたし。

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