今回の動画は、よう実の最終回予想です。
よう実のテーマでもある『自由と平等』が何なのかを考察しつつ、綾小路清隆が何を得て何を求めるのか、そして高度育成高等学校での最終回を徹底予想しています!
noteの記事はこちら
https://note.com/frogyouzitu/
Xアカウントはこちら
Tweets by kaeru_youzitu
#you_zitsu
#ゆっくり解説
#classroomoftheelite
マシュマロ(質問箱)はこちら
https://marshmallow-qa.com/frog?t=rJLHdA&utm_medium=url_text&utm_source=promotion
【よう実考察】綾小路清隆を徹底考察‼︎ 彼の『最終目的』とはいったい何なのか⁉︎ #ようこそ実力至上主義の教室へ#よう実#よう実考察#classroomoftheelite #綾小路清隆
⬇️タイムスタンプはこちら⬇️
0:00 スタート
1:08 動画の目次
1:32 よう実という物語の結末予想
6:40 三年生編展開予想
7:08 ①4クラス拮抗
7:55 ②高円寺の敗北と賭けの勝敗
10:06 ③綾小路の敗北
11:00 ④戦力と舞台と後ろ盾の確保
©衣笠彰吾・トモセシュンサク「ようこそ実力至上主義の教室へ」MF文庫J
#ようこそ実力至上主義の教室へ
#よう実
#よう実考察
#you_zitsu
#よう実3年生編
#ゆっくり解説
#classroomoftheelite
14 Comments
綾小路パパ一発で清隆という優秀な遺伝子作ったのにその後の環境が悪くて裏切られるとかアホのする事や
5:26 福沢諭吉の間違いじゃないですか?
【訂正】
「学問のすすめ」を夏目漱石の本と紹介していますが、正しくは福沢諭吉です。
アホみたいな間違いをすみません🙇♀️
こういう予想動画って数年後に答え合わせが出来て面白いですよね
坂柳ちゃんと結婚頼む
MF文庫さん、ほんまに重要な巻は特例でページ数増やしてくれ…
12.5もあのページ数では完璧だったけど3年生の話なかったのはやっぱ悲しかった
一之瀬ってやっぱり卒業後は綾小路の愛人枠に成るんかな❔流石に結婚とかしないよな❔
暁の護衛とかレミニセンスやった事ある人ならわかると思うけど、ぶん投げエンドに1票
衣笠なら大いにあり得る
最後は異世界転生して国造りし始めるよ
綾小路が敗北するのは間違いないと思うんですが、どのタイミングかですよね。個人的には、三学期の最終試験で堀北クラス、または他のクラス全部の連合軍と戦って敗北っていうのが綺麗だと思ってます。WR教育が否定されたことで綾小路は自由を目指すと決意するみたいな。個人的に政治編めっちゃ見てみたいけど案外そこで終わっちゃうのかもしれない。大学生とか社会人になったみんなを見てみたいですけどね。
有栖は、将来清隆の秘書兼妻であってほしい。
やっぱ作者かぁー
さて、ご指摘のとおり、清隆は今でも本質的にホワイトルームと深く結びついています。清隆の人格は「人格がないこと」にあり、本質的に篤臣の思想の生きたカリカチュア(戯画)に過ぎません。そのため、彼は自身の欲求や願望に基づいて何かをしたいという衝動を持っていません。
この変化がわずかに見られる場面もあります(例えば、清隆が高等教育の可能性を考慮すること)が、それでも、現時点では彼の最終的な計画はホワイトルームへ戻ることであり、そこに戻る以外の選択肢はないと信じているのが現状です。
このような彼の性格、つまり極端なまでの個人的欲求の欠如のために、ANHS(高度育成高校)における彼の行動の多くは基本的に受動的です。彼は自ら何かをしたいと願うのではなく、出来事に反応するタイプの人間です。彼の能動的な決断(クラス移動、Xプラン、須藤の救出、堀北の支援)でさえ、結局のところ受動的な性質の延長であり、それらはすべて彼の好奇心という受動的な特性の結果に過ぎません。
ホワイトルームの性質と彼がそこにいた立場上、清隆は常に新しい情報を求める人間へと成長しました。そして、このメカニズムはANHSでの生活にも引き継がれ、彼の能動的な決断でさえ、彼の本能的な好奇心に基づいた「反応」に過ぎず、純粋に自らの意志から生まれたものではありません。
これには、彼が父を否定し、真の平等とは何かを理解しようとする欲求も含まれています。篤臣の思想に反することさえ、清隆にとっては単なる「実験」の一つであり、新しい何かを学ぶための手段に過ぎません。それは、彼の世界観に刻み込まれるような壮大な信念というわけではないのです。
ホワイトルームでは、平等は存在しません。人の立場は完全にその能力と成果によって決定されます。人間は平等には作られておらず、この厳格な枠に適応できない者は「失敗作」として完全に排除されます。清隆は、この状況を覆すことが可能かどうかを理解しようとしています。
もし「失敗作」とされた者たちが、常に「人類の頂点」と称賛される存在に立ち向かったらどうなるのか? 欠点を排除するのではなく、それらを活用して個人の潜在能力を最大限に引き出すことができるのか? そして、成功とは「皆が超えなければならない任意の基準」で測られるのではなく、個々人が持つ能力の限界を極めた結果によって決まるものだと証明されるのか?
もしも、各々が自らの能力の頂点に到達し、その状態で清隆を打ち負かすことができたなら、それは彼らが完全に平等であることを示すことになります。成功とは、万人が超えるべき一律の基準ではなく、個々人の持つ能力の限界に基づくものであると証明できるからです。清隆は、これが本当に可能なのかどうかを理解したいと考えています。それは壮大な野望ではなく、単に彼の好奇心が駆り立てているだけなのです。そして、ANHS という環境は、その探究心を満たすのに最適な場所なのです。
最近では、清隆がこの好奇心を直接満たすわけではない行動(山村との会話、市花や南雲を助けること)を取るようになりました。しかし、だからといって彼がこの特性を完全に克服したわけではありません。
私が理想的だと思う結末は、清隆が好奇心を満たすためではなく、純粋に自身の願望や欲求に基づいて行動できるようになることです。彼の行動がホワイトルームの枠を超え、彼自身の意志と願いによるものであれば、彼はホワイトルームの呪縛を断ち切り、その枠の外で自由に考え、真の自由を手に入れることができるでしょう。
伏線なのかは分かりませんが、2代目内閣総理大臣は、黒田“清隆”らしいです