Himawari アルバム版を「君の膵臓をたべたい」の映像で聴きたくて作成。
劇中では シングル版が使用されている(※1)ので、そちらも作成しました。
『「君の膵臓をたべたい」を Himawari シングル版で。』

<曲について>
(※1)厳密に言うと、劇中歌と「シングル版」は、かなり近い作りではあるものの、同一音源ではなく、歌い直すなどの修正が入っています。劇中歌そのものの音源は販売されていない様子。
その後の「アルバム版」では、再び歌い直すだけでなく、音選びからからやり直し、リズムの強弱、一部音を追加・削除を行ったりと、本格的な修正がされています
1曲にここまでの修正を繰り返す「Himawari」という曲への思い入れの強さを感じます。

個人的に、アルバム「重力と呼吸」の「Himawari」は 曲としての完成度が高く「シングル版」は劇場版に近い感情表現を優先した歌い方で作られているように感じます
今回は「アルバム版」にまず画をあてました

シングル版のメイキング映像を見ると、ひずんだ感情を音として表現しつつも、歌唱が強くなり過ぎないように様々に調整している様子が見れますし、この曲についてこう語っています

桜井さん「Himawari という 甘いポップソングに聞こえるかもしれない中に 影や悲しさを音で表現したい。夏に咲く Himawari では意味が無くて、暗がりで咲いている Himawari だから意味がある」

シングル版とアルバム版は強弱のリズムの差が大きく、歌い方も異なるので、同じ映像を当てても微妙に印象が異なります

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<映像について>

中盤の「共病文庫」を渡された後からの回想は イベントカットを追加して時系列で一気に見せる形に整えました。数か所 前半のカットに差し替えて見栄えを良くしています

じっくり見せたいシーン以外は 曲やテンポ、歌詞の力を借りて ギシギシに詰め込んでいます

ここでは “桜良のマーク”は省略し 本人のカットインを優先しました

2度登場する「春樹が、様子のおかしい桜良を心配し、夜の病院に駆けつけるシーン」は 前半の春樹目線と「共病文庫」からの桜良目線の両方を多めに組み込みました

終盤、桜が咲き誇る橋の上で二人が読書をしているシーン(正確には 桜良は 共病文庫とペンを持ってる)は、それぞれが相手を想う回想シーンでそれぞれのカットが登場していました。

今回は、この2つのカットを繋げ、後続との繋がりを少し変え、

当時の春樹&桜良 > 当時の桜良が見つめる春樹 > 今の春樹 > 当時の桜良?

をオーバーラップさせる流れにしています
この、桜が咲き誇る橋の上での2カットは 本編との直接的なつながりが無いので、イメージカットに近いものになっています

かなり悩みましたが、最後のイベントも入れ込み、画のつながり上、大好きな ガム君のカットも序盤にねじ込みました

映画の春樹は ガム君の事は名前も顔も忘れていたよう?で ちょっと可哀想でしたが、
春樹が恭子に「友達の了承」をしてもらった時、後ろでピントの合っていないガム君の表情が緩むシーンは結構好きです

<映画について>

今回の作業で、当初見えていなかった物が 色々見えてくるようになり楽しめました。

劇中で「共病文庫」を読み終えた春樹が桜良の母親に対し「彼女は本当は…」と言いかけると

「ありがとう。あなたのおかげで あの子はしっかり生きる事が出来た」

と、質問をさえぎる様にそして噛みしめる様にゆっくりとした口調で 印象的な言葉を返します。この時 彼は何を尋ねようとしたのでしょうか?

桜良は彼にはメールで「明日、退院できるって」「退院しました」と報告していました
けれど実際は「一時退院」で、意味が全く異なります

桜良は、入院後 春樹に対して本当の病状を語らなくなりました
彼が様子がおかしい桜良に電話口で「なんかあった?」
夜の病院に駆けつけた後の「まだ死なないよね?」
どちらの質問にも答えず、はぐらかしています

この日 2005年5月25日の「共病文庫」には この時の心情が書き残されています。
一部を抜粋すると


彼が帰って一人になって
たくさんたくさん泣いた。
一日でも長く生きられるように頑張ろう

嘘をついた。初めてじゃないかな。
はっきりと嘘をついたのは。
何かあったのかときかれて、また泣きそうになった。
話してしまいそうになった。
でも駄目だと思って言わなかった。
持ってきてくれる日常を手放したくなかった

あんなにほっとした顔をされたらさ 伝えられないじゃん
でも嬉しかった。
生きててこんなにうれしい事があるのかと思うくらい。
あんなに必要とされてるって知らなかったから。
嬉しくて嬉しくて、
一人になった後にたくさん泣いちゃった。

とあります。

「つかの間の外出許可。もう最後って事みたい」

最後のページにも

「よーし、一時退院だぁぁ!」

と書かれており、春樹は桜良の嘘とその理由を理解したはずです

あの入院が「桜良の人生で最後の入院」であったことが読み取れるので

「寿命や病状についての質問」と考えるのがここでは自然な流れで映画を見ていた多くの人がそう感じたと思います

あとは「自分達の前ではいつも笑顔でいたけれど 彼女は本当は泣いてばかりいた…」という話もその先にありそうです

母の言葉は、彼が質問しようとした内容に対し、それらを包括して さらにその先の事を語っていた事がわかります。

次に母親の心情を考えると

あの子が生前語っていた“彼”は、葬儀には出席しなかった様子
1ヶ月経っても何の連絡も無い
“彼” は本当にあの子が言ったように共病文庫を受け取りに来るのだろうか?
もし“彼”が現れたらどういう言葉をかけたらいいのか

母親から出た言葉は“彼” に対し ずっと準備していた言葉であると同時に、自分自身を含め、残された遺族が納得する為の言葉なのだとも感じました

母親は“彼” が現れた時にまず ほっとして、とても好意的に迎えているように見えます

普通、娘の葬儀に顔を出さず、1ヵ月間何の連絡もよこさない“彼”に対し、もっと不信に満ちた目を向けていいはずですが 母親の表情からはそれを感じ取れません

娘への信頼度の高さもあったと思いますが、話を聞いていた“彼” に対し かなり好意的に思っていたようです

それでも多少なりとも残っていたであろう不信感や不安感は 春樹の言葉と涙で消え、彼女自身救われる思いだっただろうとも感じました

この辺はさらっと流されて詳しく描かれていません

それにしても、桜良の母は何故、“彼” についての情報を持っていなかったのでしょうか?

見舞いに来る恭子などから聞き出す事は簡単なはずなのに母親は何故かそれをしていません

その理由は「共病文庫」の中に残されています

事前に桜良は何度も母に説明をし、恭子などの友達から“彼” についてのヒントを聞き出すことを禁じた上で

「ぜったいに取りに来てくれるはずだからその人に渡してほしい」

と書き残しています

つまり “彼” が現れ「共病文庫」を受け取りに来る事は 残された母親に対するサプライズでもあったわけです。

同時に、周囲の人達が持つ“彼”に関する誤った情報で 母を心配させまいとする心遣いも見えますし、この状況を利用してサプライズ感を増しているようにも思えます

桜良は 母が “彼” を気に入ってくれることを 確信していた様です

「共病文庫」の序盤には、恭子がこれを読んだ時のことを考え、恭子への謝罪も書かれています。

映画終盤、恭子宛の遺書に 病気の事について書かれている箇所を読むシーンがありますが、恭子が全く驚いていない事から、この時点で恭子は既に「共病文庫」は読んでおり、病気の事を知っていた事がわかります。

原作と同一とするならば、桜良の病気の事は、学校だけでなく極親しい親戚以外は「共病文庫」を読んだ人しか知らない事実のはずです

つまり恭子は「共病文庫」の内容を春樹と共有しながらも友達にまではなれていない微妙な状態だった事が推察できます。劇中、大人の春樹を気にしつつも話しかけられずにいる彼女の行動の理由はこの辺りにありそうです

桜良の様子がおかしかったあの日、心配した彼が夜の病院に駆けつけたけれど、理由は語らずに終わりました。

「共病文庫」にはこの日 2005年5月25日の冒頭に

「寿命が半分に縮まった。」

とあります。劇中ではこの一文は読まれず、次の行から読まれています

映画版ではGW前に「1年もつかどうか」と説明していたので、5月25日の時点で「あと半年もつかどうか」にまで病状が悪化していたことがわかります

一時退院は 春樹が夜の病院に駆けつけた日から 17日後の 6月11日
春樹が桜良の病気の事を知ったのは 4月12日 ですから
たった 2カ月間だったという事になります。

「共病文庫」には 2004年4月9日 に
「16歳の誕生日に恭子がイヤリングをくれた」とあるので
17歳になった直後に春樹と病院で出会い、17歳と2ヶ月 。享年18歳 だったことになります。

実写映画は原作と違い、時間的対比が追加され、桜良の発した言葉から繋がる
「12年後に春樹が教師になった未来」が舞台で、
まだ「彼女の最後の謎」と「仲良し君と親友恭子への謝罪と願い」は未消化のまま始まります

桜良と春樹 という名前の取り合わせについて、旅行の電車の中と終盤の手紙で 原作を意識して作られていることがわかります

全体的に明るい画になるよう、登場する店や場所なども明るく派手めな場所が選定され、その対比でより深い悲しみを感じさせる作りになっています。

原作小説のその後が描かれた 短編小説「父と追憶の誰かに」(30ページ程の非売品の小冊子)では、桜良の兄の存在が物語のキーになっていますが、映画では写真や葬儀のシーンでもその姿は無く、省略されているようです

学生時代のシーン。桜良が亡くなった後に初めて大人達が登場する点も、良い感じでした
事情を知っている大人や親族を登場させず、二人と恭子の関係をしっかり見せたのは正解だったと思います

全ての工夫が相乗効果を生み、出演者の魅力と相まって奇跡的に昇華された作品に仕上がっていると感じました

様々に考察できる余白多めの映画で、わかりにくい部分も ヒントの種がちりばめられているので、何度見ても楽しめ、新たな発見がある名作です

※文字数制限で書ききれなかった分は シングル版 の詳細にも書いています

※2020年9月4日の金曜ロードショー での放送告知が1カ月前から解禁されました。

映画「キミスイ」公式@kimisui_movie

Type:共病文庫編 v4.81 アルバム版  WQHD UPConv 60fps

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