ジャングル黒べえ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=83904 / CC BY SA 3.0
#漫画作品_し
#1973年の漫画
#幼稚園_(雑誌)
#小学館の学年誌の漫画作品
#毎日新聞に連載された漫画
#藤子・F・不二雄の漫画作品
#アニメ作品_し
#テレビ朝日系アニメ
#毎日放送のテレビアニメ
#東京ムービーのアニメ作品
『ジャングル黒べえ』(ジャングルくろべえ)は、藤子・F・不二雄による日本の漫画作品、および同作を原作としたテレビアニメ。
アフリカの密林に住むピリミー族の王さまの息子である黒べえが、ジェット機を大きな鳥と勘違いし、捕らえようと車輪にしがみついたものの日本上空で力尽きて落下し、落ちた先=佐良利家で看病されたことを機に、佐良利家に恩返ししようと得意の魔法や呪術で騒動を巻き起こす、というギャグタッチの物語。
なお、藤子不二雄Ⓐの漫画『黒ベエ』とは無関係。
本作は藤子作品としては珍しくテレビアニメ化企画が先行した作品で、過去『オバケのQ太郎』など一連の藤子作品を手掛けてきた東京ムービーが制作を担当。
藤子はストーリーと漫画連載を担当した。
企画当初のキャラクター原案は当時Aプロダクションに在籍していた宮崎駿が手掛けている。
ただし、宮崎が出したアイデアは「アイヌ神話のコロポックル(ホビット)と人間の交流を描く」という、完成作品とは全く異なるものであった。
宮崎とともに原案を作った楠部三吉郎によると、コロポックルの兄妹が人間の住宅天井裏に住みつき、人間のものを「狩猟」と称して勝手に持ち出すストーリーであった。
主人公(コロポックル)の名前から『頭の上のチッカとボッカ』という仮題がつけられて楠部が毎日放送に企画を持ち込んだところ、番組化の運びとなったが、当時はまだ無名であった宮崎の起用に毎日放送は難色を示した。
楠部が(『新オバケのQ太郎』で接点のあった)藤子不二雄に頼むという代案を出し「企画の形がなくなるかもしれないが注文は付けない」という条件で了解を得る。
楠部がそのあと藤子・F・不二雄に事情を説明して(企画書や原案の絵は見せずに)依頼したところ、「発想はおもしろい」が「このままじゃ難しい」という理由で、自分なりの発想で描き直してできたのが、アフリカ先住民をモチーフとする『黒べえ』であったという。
藤子Fはのちに楠部に対して「楽しい作品だったけれど、でもあれは私のキャラクターじゃないね」と述べたという。
また「なかなかキャラクターに感情移入できなかった」とも語っている。
2016年に、宮崎が作った『頭の上のチッカとボッカ』の設定原画がまんだらけのオークションに出品され、53万円で落札された。
漫画連載はアニメ版に合わせて1973年3月から同年12月まで、小学館の学習雑誌(『よいこ』、『幼稚園』、『小学一年生』 – 『小学五年生』)と毎日新聞(大阪版夕刊)に連載されたが、長らく単行本は発売されず、同じ藤子・F・不二雄原作のギャグ漫画『バケルくん』第2巻の巻末に一部が同時収録されたに過ぎなかった。
1988年に中央公論社より発刊された藤子不二雄の作品集藤子不二雄ランド第175巻として1冊に収録されて出版。
1989年7月に黒人差別をなくす会が、同じく藤子作品である『オバケのQ太郎』の「国際オバケ連合」の回の描写が黒人差別であると指摘。
これを受けて、藤子プロ、単行本を出版していた小学館、中央公論社は、『オバケのQ太郎』の当該エピソードが収録された単行本を増版中止・回収措置をとったが、この際に余波や後難を避けるため、抗議や指摘がなかった本作を同時に自主回収したと見られている。
その後、本作を「封印」扱いにし、単行本は絶版、『バケルくん』第2巻に収録された一部エピソードや藤子不二雄の漫画百科なども別作品に差し替え、アニメ版は放送を自粛し、事実上闇に葬られてしまった作品となった。
また、この後1999年に発売された「東京ムービー アニメ大全史」(辰巳出版)でも、冒頭の「東京ムービー テレビアニメ作品年表」や巻末の「サブタイトル・リスト」では、放送期間や全サブタイトルが紹介されているものの、作品自体は紹介されていない。
なお、自主回収について出版社による公式な説明はなされておらず、公には単なる「販売元品切れで重版は未定」として扱われている。
本作の出版がなされなくなった経過についてライターの安藤健二が取材を行い、『国際オバケ連合の抗議を受けた出版元が「黒人差別をなくす会」の背景に部落解放同盟などの同和団体があると思い込んで萎縮し、自主回収の形で葬ったようである』との結論に至ったが、関係者の証言を得て事情を明らかにするまでには至らず、依然詳…

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